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5分単位の世界に生きる

by 唐草 [2023/07/06]



 アナログ時計が好きだ。家の時計はすべてアナログだし、スマホのホーム画面に置いているのもアナログ時計。デジタルなものに囲まれた生活を送っているが、時計だけはアナログを貫いている。
 今が何時何分かという絶対的な時間を知るにはデジタル時計が優れている。次の電車に乗れるかどうかという1分を争う場面では、デジタル時計が強い味方となる。腕時計代わりに使っているスマホのロック画面の時計だけがデジタル表示なのはそのせいだ。
 だが、正確に1分単位で時間を知らねばならない機会はぼくの生活では少ない。それよりも「あと15分で7時になる」とか「そろそろ5時半だ」といった相対的で大雑把な括りで時間を確認することが多い。そんなときは、針の位置で時間を示すアナログ時計のほうが都合がいい。
 だから、我が家は色々なところにアナログ時計が置かれている。ただし、ぼくの趣味で、壁掛け時計ではなく、いずれも小さな据え置き型の時計。
 気がつけば、ぼくの行動は小さな時計の長い針の動きに支配されている。ぼくがもっとも時間を気にするのは、朝早い出勤の時。できる限り家でダラダラしていたいと思うと同時に、余裕を持って家を出たいとも思っている。そんな揺れる心を押すのは、アナログ時計の針。ではなくて、針が示す先にある数字だ。
 長針がピッタリ9を指すと「家を出なければ」という気分になる。だから、ぼくはアラームに急かされているわけでもないのに、きっちり45分になると家を出るために動き出す。
 しかし、45分に家を出ると、乗りたい電車が到着する4分も前に駅につくことになる。ある程度余裕を持って行動するのも大切だが、貴重な朝の4分を駅で棒立ちするために費やすのももったいない。理屈上は、あと3分遅くに出ても平気。保険的に余裕を持つとしても47分に出れば十分だ。
 そう分かっていても、長針が切りのいい数字を指すと動かなければならないような気分に急かされる。
 この振る舞いは、時計に縛られて行動しているとも言える。文字盤の呪いとさえ言ってもいい。ぼくは5分単位でしか行動を起こせない分解能の低い世界に生きている。