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しかない

by 唐草 [2020/04/08]



 連日Googleトップのロゴ(Doodle)が、コロナウイルスと最前線で戦う医療従事者への賛辞を贈るものになっている。
 ぼくは自宅で仕事のメールが届くまでノホホンとゲームのコントローラーを握って毎日を過ごしている。通勤をしなくて済むようになった現状に喜びさえ感じている。何の緊張感もないその姿は長期休暇中の大学生のようである。
 同じ東京に済んでいながら、ぼくとはまったく違う激務の日々に身を置いている人々もいるはずだ。緊急事態宣言がなされたというのに表面上平穏な日常が継続しているのは、身を粉にして働く医療従事者のみなさんのおかげだということを忘れないようにしたい。
 と前向きなことを書いたが、昨日と変わりない今日を生きるぼくにとって彼らの活躍に現実感はまるでない。口先だけならいくらでも感謝の言葉を並べられるが、そこに心を込めることは今のぼくにできない。
 ネットを眺めていると想像力の乏しいぼくとは違う人々が大勢いるようだ。実際に関係者に届いているのかは分からないが、応援の言葉や感謝の言葉が溢れている。ネットを飛び交う言葉が、普段よりちょっとだけ暖かく見える。
 多くの発言に「感謝しかない」という言葉が、判で押されたように書かれている。
 ぼくは、今SNSに溢れ始めている「感謝しかない」という言葉に生理的とも言える嫌悪感を覚えている。
 正直なところ何が気持ち悪いのか自分でもよく分からない。この言葉を目にすると決まって砂を噛んでしまったときのような不快感に襲われる。なんでここまでぼくの気分を害するのだろう?
 当然ながら、感謝を示すことに不快感を覚えているのではない。受け入れがたいのは「しかない」の部分なのだ。どうして「しか」と「ない」というネガティブな限定を表す言葉を感謝というポジティブな言葉の修飾に使うのだろう?素直に「心から感謝します」と書いてはダメなのだろうか?
 ぼくには「しかない」という強調の言葉を用いることで、他の感情を抱くことを暗に禁止しているような窮屈さを感じてしまう。ぼくは自分がキライだからと言って「感謝しかない」という言葉を狩るつもりはない。こういう言葉の感じ方が世代の差なんだろうなと爺臭い気持ちをぐっと飲み込むだけである。