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虚栄のバザー

by 唐草 [2020/04/03]



 オンラインゲームでのコミニュケーションの形は様々だ。テキストチャットやボイスチャットのようにゲーム以外でも用いられている言葉を介したコミュニケーションが一般的だ。
 一方でゲームならではのコミュニケーションもある。参加者全員で敵と戦う共闘も立派なコミュニケーションだ。目的意識を同じくしていれば、言葉を交わさずしても自ずと役割分担ができてくる。こういう時に感じられる一体感は、チームスポーツを通した交流に近い。
 共闘とは逆にプレーヤーどうしが火花を散らしてぶつかり合うのも、コミュニケーションと言える。高レベルの者どうしの戦いは、拳で交わす会話と言っても過言ではない。
 ここまではゲームを競技として考えた例に上げてきた。ゲームは必ずしも競技性があるとは限らない。アバターの出来を見せびらかしたり、コレクションの完成度を誇ったりするゲームもある。それらのゲームでは自己顕示欲、つまり自慢がコミュニケーションの原動力になっているように思える。
 先日、ぼくは某ゲームでレアアイテムを手に入れた。換金アイテムなので売り飛ばす以外に使いみちはない。だが、お金に困っていなかったぼくは高価であることよりも希少性に目をつけ、バザーへ出品したのだ。しかも、誰も買う気が起こらないように出品上限価格である定価の2倍の値を付けた。
 当然ながら売るための出品ではない。目的はレアアイテムの自慢だけである。バザーの品揃えを見れば、誰もがぼくに一目置くことだろう。レアアイテムはぼくのバザーの旗印のように輝いていた。多くのプレーヤーが羨望の眼差しでぼくのバザーを眺めていたかと思うと、それだけで心が満たされるようだ。
 昨日、バザーの商品が売れたとの通知が届いた。何が売れたのだろうとバザーを覗いて目を疑った。
 レアアイテムが売れていたのだ。大赤字にしかならないものを買う人がいるなんて、夢にも思っていなかった。空っぽのバザー欄は、ぼくの心情そのものだった。お金は振り込まれていたが、看板を盗まれたような悔しさだけが残った。
 ぼくのレアアイテムは、購入者のバザーで自己顕示欲の塊として第二の余生を送るのだろう。ぼくに振り込まれたお金は「自分はお前より大金持ちなんだ」というぼく宛の勝ち誇ったメッセージにしか見えなかった。