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苦さの正体

by 唐草 [2024/03/17]



 久々に『Fallout 4』で遊んでいる。6年前に初めて遊んだ時は世界観もゲームの仕様も分からず五里霧中だった。それは200年の冷凍睡眠から目覚めた主人公のロールプレイには最高だった。
 今思えば、ぼくが1周目に紡いだ物語は行き当たりばったりだった。ゲームシステムを理解していなかったので正面から暴力で突破し続けた。
 シリーズを通してウェイストランドの流儀を理解した今のぼくは、筋力よりも集中力、持久力よりも俊敏性だと考えを改めている。だから、1周目よりも遥かに多くの選択ができる。今回は正面突破だけではない狡猾さに満ちている。
 そんな狡猾なプレーを通じて感じたのが、どう転んでもビターエンドに帰着する物語の巧妙さだ。因果応報とも違う。どう進めてもベストでないことを自覚してベターを選ぶしかない歯がゆさがある。
 両立し得ないものを並べて必死に倒れないように手で抑えるも、指の隙間から何かがこぼれていくのを眺めるしかないといった感じ。この絶妙な匙加減こそ醍醐味。いわゆるビターエンドだ。でも、あまりにも際どい匙加減なので不愉快に感じる人もいるだろう。とは言え、それは単純な胸糞展開とか鬱展開ではない。
 1周目のぼくは秘密エージェントに憧れて抑圧された人造人間を解放する結末を選択した。それは名作アドベンチャーゲーム『Detroit : Become Human』では理想的なエンドだったかもしれない。でも、こっちはビターな『Fallout 4』だ。
 今考えると、人造人間解放エンドを選んだのは短絡的な判断だった。このルートが不人気なのも頷ける。なにせ最終的に人造人間を生産している組織を爆破してしまうので、将来的に人造人間が消滅することが確約されている。
 将来的にすべての人造人間を開放して、目的を失った主人公は何をするのだろう?『Fallout 4』は南北戦争前後の人種差別を下敷きにしている。ぼくのゲームでの選択を現実に置き換えたら何を救うために誰を爆破したことになるのだろう?
 史実ならば、奴隷をこれ以上生まないためにとジェノサイドに加担したのかもしれない。