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椅子と富士山

by 唐草 [2020/12/22]



 冬の通勤には、寒い中早起きしただけの価値があると思わせるものがある。それがJR中央線の多摩川橋梁から見える富士山の姿だ。
 この鉄道橋は、高い橋と広い川の組み合わせで眺めが広く富士山を見る絶好のポイント。奥多摩と丹沢の山並の奥にひときわ高い富士山がニョッキリと山頂を覗かせている。冬は乾燥のせいで空気が澄んでいる。だからくっきりと富士山の稜線を見ることができる。
 もう何年も見ているが、飽きることはない。晴天に恵まれて富士山の姿が見えると毎回初めて富士山を見たかのように嬉しい気分になる。ときに富士山を探してしまうことがあるが、そういう日は雲に隠れていて見えていないだけ。堂々たる山の姿は、見えているのなら絶対に見逃すことはないほどに目を奪う圧倒的な存在感がある。
 存在感抜群の富士山だが、実は車窓越しに見るのが難しい。橋の向きと富士山の方角の関係で、西向きの(下り方面のときは進行方向右)窓にへばり付いていないと見えない。西側の椅子に座った際は、首を180°回転させる勢いで体を捻じれば富士山を確認できる。そういう大きな動きは周囲から顰蹙を買ってしまう。東側の椅子に座ればそのままの姿勢で西側の窓を眺められるが、角度的に見るのは難しい。
 富士山をこの目で見たければ、立っているしかない。朝の通勤電車は下り方面でも椅子は埋まっている。立っているのは珍しいことでもないので、これまでずっと富士山を眺めることができてきた。
 だが、今期は1度も富士山の姿を拝んでいない。それには軟弱な理由がある。
 下りの中央線は、多摩川橋梁の前に立川駅で停車する。立川駅はモノレールなどいくつかの路線が交差する多摩地区きっての乗換駅。ぼくが乗っている列車からも多くの人が降りる。そんな人々の流れを見ているうちに立川駅で下車する数人の姿を覚えてしまったのだ。
 だからぼくは立川駅が近づくと一方的に顔を覚えた人の前へと移動する。立川駅で確実に空く席を虎視眈々と狙っているのである。
 こうしてぼくは予約しているかのように席をゲットして腰を下ろす。だから今日も富士山はお預け。立ち続けるような気概のある者にしか富士山は姿を見せないのである。