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蔑ろにしているとは誰も言わない

by 唐草 [2023/06/27]



 先日、TVで火葬場が足りないという話題を取り上げていた。そのため亡くなってもすぐに葬式をあげられず、何日も霊安室で保管されるそうだ。遺族には経済的負担も含めてやりきれないものがあるだろう。
 この問題の対策として2つのアイディアが示されていた。
 1つは、遺体ホテルとでも呼ぶべき遺体を預かる冷蔵庫施設を作る方法。ドライアイスで冷やす霊安室と違って遺体が傷まないのが売りだそうだ。いい方法かもしれないが、これは対処療法でしかない。
 もう1つは、火葬場の稼働率を上げる方法。こちらは根本的な対策だ。では、どのように稼働率を上げるのか?製鉄所の高炉のように365日24時間火葬場の火を絶やさないのだろうか?
 そうではない。
 縁起が悪いと忌避されがちだった友引でも火葬を受け付けることで稼働率を上げるのだ。
 ぼくはこの話にひどく驚いた。
 「友引に火葬を執り行うなんてけしからん!」と怒ったわけではない。21世紀になって四半世紀経とうかというこの時代に大安や仏滅と言った六曜を気にしている人がいることに驚いたのだ。ぼくの死生観では、遺体をドライアイスで保存するよりも、六曜なんて気にせず火葬したほうが良いように思える。
 とはいえ、日本では古くから用いられてきた六曜を重んじる人がいるのも分かる。そういう人にしてみれば、効率だけを考えた火葬は伝統を蔑ろにするように映るのだろうか?
 様々な考え方があるが、番組では火葬場の新たな試みを好意的に紹介していた。難癖レベルで何でも炎上するネットでも話題になっているのを見たことがない。これは多くの人が六曜なんて気にしていないことの現れだろう。
 この感じだと近い将来、六曜は忘れ去られる。その日が近づいたときに「伝統なんだから六曜を残せ」と声は上がるだろうか?
 伝統だからといって、何でもかんでも残せばいいというわけではない。先日も『上げ馬神事』が動物虐待だと大きな波紋を呼んだ。ぼくらの価値観は日々変わっている。何を伝統として残して、何を時代錯誤として捨てるのか?その線引きは難しい。でも、六曜がその見えない線上にいるのは間違いない。