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The 80's

by 唐草 [2023/06/09]



 十数年ぶりにポロシャツに袖を通した。本当に久しぶりだ。
 長年ポロシャツを避けていたのには理由がある。その理由が大きなものなのか、あるいは取るに足らないものなのかを自分で判断できない。あまりに長い間、ある種の呪いのようにぼくの頭を縛り付けていたからだ。客観的な判断を下すには長く付き合いすぎてしまった。今となっては、腐れ縁と言ったほうが良いかもしれない。
 ポロシャツを着れないことで被る不便なんて取るに足らないことだ。困るのは、ポロかテニスの選手ぐらいだろう。どちらのスポーツもぼくには縁がない。
 ぼくがポロシャツを避けていたのは、見た目や素材に起因することが理由ではない。もっと個人的な出来事に起因する。
 大学時代のゼミの先生が、常にポロシャツを着ていたのが原因だ。4年間の大学生活で、その先生がポロシャツを着ていなかったのは卒業式の日だけ。おかげで、ぼくは「先生、スーツ着るんだ!」という失礼この上ない驚きで大学を去ることになる。それほどにポロシャツを着続けていた。
 先生のポロシャツの色は毎日違っていた。噂では、先生の自宅のクローゼットは、ポロシャツで虹ができていたという。揺るぎないこだわりを感じずにはいられない。
 そして、80年代にギークな世界を生き抜いてきた先生には、80年代風のレンズの大きなツーブリッジのメタルフレームメガネとポロシャツ、そしてジーンズが恐ろしく似合っていた。若い日のビル・ゲイツとかに通じる、その時代を生きた人だけが出せる本物の雰囲気があった。
 だから、ぼくの中でポロシャツは、先生の皮膚のような存在であり、同時に80年代の象徴的な服となっていた。これこそ、ぼくがポロシャツを避けていた本当の理由だ。
 単に前時代的なダサいイメージがあるということではない。本物を知ってしまったのでぼくが袖を通してもまがい物にしかならないという確信があったのだ。
 だが、どういう風の吹き回しか、急にポロシャツを買っていいかなと思った。その心変わりは、ユニクロで水色のポロシャツを目にしたときだった。
 先生は、水色のポロシャツを着ていなかったのかもしれない。