by 唐草 [2020/10/30]
昨日、傘の進化について書いた。実はこれ、書きたかったことの前置きだった。予想以上に長くなってたので独立した記事にした。だってこうすれば翌日のネタが確保できるんだもの。
今後の傘の進化には、大きく2通りのアプローチがある。1つは今の傘を改良していく方法。正当進化と呼ぼう。もうひとつは、今とはまったく別のアプローチを採用する方法。雨粒を幕で遮るのではなく、空気で雨粒を飛ばすといったような従来のやり方とは異なる考え方を持ち込むやり方。こっちは突然変異と呼ぶのが良いだろう。
折りたたみ傘の登場は突然変異と呼べる進化かもしれないが、開いた傘は従来のままなので正当進化と考えよう。傘は700年以上かけてゆっくりと正当進化を続けてきた。今の傘は進化の樹形図の頂点に君臨している。
ただ、ひとつだけ心配なことがある。この進化が正しかったかどうかが判断できないことだ。
地球の歴史を振り返るとある時代の覇者となったものの絶滅してしまった生物種は恐竜を筆頭に山ほどある。生物進化の歴史は、墓石に刻まれた名前を読み上げているようなもの。頂点に上り詰めたつもりだったが、それはどん詰まりの袋小路でしかなかった。そんな悲劇の繰り返しの果にたどり着いたのが、この現代。
傘が進化の果にたどり着いた今の頂は、本当に最高峰なのだろうか?横を向いたらもっと高くそびえる峰があったりしないだろうか?傘よりミノの方が良かったなんて未来が待っているかもしれない。
コンピューターを使っていると時々自分が間違った峰に登ってしまっていたことに気が付かされることがある。四苦八苦してサーバの設定を調整したり、プログラムを改良して数パーセントの性能アップを喜ぶことがある。でも、その努力も喜びも完全に無駄だったという事実を突きつけられることも少なくない。
別のサーバソフトを使えば10倍早かったり、プログラムのアルゴリズムを変えたら100倍処理できるようになったりする。これは珍しいことでもない。
こういうことに見舞われるのは、目指す峰が最高峰だと盲目的に信じてしまうからに他ならない。富士山の頂で背伸びをしようが、鉄塔を立てようがエベレストには届かないのだ。