by 唐草 [2018/07/16]
今日は「海の日」だそうだ。世間は三連休らしい。残念なことに大学というのは、世間に含まれないようだ。今日も各種講義が開講されている。
年間スケジュールのことを考えるとカレンダーに従えないのも理解できる。もし何も考えずにカレンダーに従うと月曜日ばかりが休講になってしまう。週単位で動く組織をうまく動かすためには、カレンダーを無視する必要があることは理解できる。
でも、休日ダイヤの電車を待っているとどうしてもやるせない気持ちになってしまうのである。
しかし、ぼくは大学の規定にバカ正直に付き合う気はない。世間が休みなときは、ぼくも休む。これは譲れないポリシーである。
というわけで、年度の頭から入念な計画を立てていた。それが、全15週に及ぶ「海の日を休みにするプロジェクト」である。
やることは簡単だ。海の日の授業を休講にすればいい。たったそれだけである。
だが、手はず通りに休講を挟むと補習を行う必要がある。いくら海の日を休みにできても、補習のために夏休みに出講するのは本末転倒である。なによりも学生からしてみれば、いい迷惑である。
必要なことは、休講にするけれど補習にならないという綿密な計画である。そのために必要なのが、本来より1回少なくても授業が終わる素早く無駄のない授業進行である。ぼくが月曜日に担当している授業はグループワークなのだけれども、第1週目にグループを編成するときから計画はスタートしていたのである。
実に単純なことだが、グループの数を少なくして発表の回数を1授業分減らしておいたのだ。
4月からこんな計画が動いていたとも露知らずに授業を受けてきた学生たち。ビシバシ容赦ない進行は、たった一度の休講のため。すべては伏線のように張り巡らされていたのだ。
2018年7月16日「海の日」
ぼくは休日ダイヤの電車を待っていた。楽しい外出ではない。職場に向かっていたのだ。
授業は休講にできたのだけれども、別案件で待機を命じられてしまった。
あぁ、3ヶ月にも及ぶ壮大な計画が、たった一通のメールで崩壊してしまった。こうしてぼくの「海の日を休みにするプロジェクト」は、悲しい幕切れを迎えたのである。