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お金を払うという感覚

by 唐草 [2018/10/24]



 ここのところお金が減らないような気がしている。いや、ちょっと違うな。より正確に言うのならば、使ったイメージほど減っていないという表現が近いだろう。ぼくのイメージよりも穏やかにお金が減っているような印象があるのだ。
 倹約家と言うかケチだったぼくが、更にケチになったというわけではない。ぼくがこれ以上ケチになるためには、もう食費を削るしか道は残されていない。そんなことをしたら餓死していることだろう。
 使う額面は以前とほとんど変わっていないはずなのに、お金が減らないという妙な感覚がつきまとう。
 その原因は、たぶんSuica払いを導入したことにある。
 少し前の記事に「Suica払いに移行したいけれど、コンビニのレジで『はい』か『いいえ』しか言えないドラクエの勇者的なぼくには敷居が高すぎる」というようなことを書いた。きっと発声が悪いぼくが「Suicaでお願いします」なんて言っても、10回ぐらい聞き返されるだろうと恐れていた。
 しかし、そんな心配は杞憂だった。「Suicaで・・・」ぐらいでも十分に通じた。たぶんもっとモゴモゴとした発音で「すい・・で・・・」と言ってもぼくの意図を汲み取ってくれるだろう。コンビニの店員さんは本当に優秀だ。
 という訳でぼくは完全にSuica払いへと移行した。遅ればせながらも電子マネーデビューしたのである。
 以来、小銭を手に取る機会が激減している。今残されている小銭にふれる機会は、職場の食堂を利用するときだけ。財布の中から小銭を出す機会が少ないので、ぼくとしてはお金を使っているという実感がまるでない。使っても使っても減らないような錯覚に囚われているのである。
 もちろん時々チャージをしている。しかし、ぼくにとってチャージは1000円札がSuicaカードの中にワープするようなものである。だから金を使ったという感覚はない。
 確実に今までと同じペースでお金が減っているのにぼくはそれを認識できていない。ゲームの中で買い物しているのに近い感覚である。ぼくにとってお金を使うというのは、小銭やお札をレジに置くという身体的感覚による認識だったという訳だ。初めてその事に気がついた。
 将来、「生まれて初めてのお買い物」が電子マネー決済だったという世代も出てくることだろう。そんな近い将来の彼らにとってお金を使うという行為は、どんな感覚に依る行為になるのだろうか?きっと20世紀生まれのぼくとはまるで違う感覚になるんだろうなぁ。