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目指す表現

by 唐草 [2024/03/03]



 3Dゲームを作る過程で想像していなかった様々な壁にぶち当たった。それでも技術的なことは調べて解決できる。厄介なのは正解のない表現だ。
 一口に3DCGといっても様々な表現方法がある。それを決定するのがシェーダー選択。それによっては、実写のようなフォトリアルを突き詰めたり、逆にセルアニメのようなトゥーン表現にもできる。
 制作を通して気付いたのは、ぼくは自分好みのシェーダーを理解していなかったこと。
 ゲーム好きだと言うとドット絵を見せておけば満足しそうと思われがち。たしかにドット絵は、昔のコンピュータの性能を最大限に発揮させた素晴らしい表現。でも、ぼくのようにPCに少しでも明るいと現代のドット絵なんてものは懐古趣味にしか見えない。
 ぼくは解像度と時代に依存しないスケーラブルな表現を採用したい。
 それを実現する方法としてリアルさを追求するフォトリアルがある。ぼくもできるならチャレンジしたいが、工数的にも技術的にも現実的でない。それにリアルという明確なゴールが存在するため、並大抵の技術と表現では没個性になる。フォトリアルを追求するのは最高峰で戦いを挑むことであり、ぼくにとってその挑戦は勇敢というより無謀でしかない。
 目指すべきは、現実的な工数で実現できて個性を出せる表現だ。
 開発当初は、美麗なCGを作れないのでマイクラのようなローポリ表現を採用していた。だが、実際に作ってみるとシンプルすぎて殺風景な画面にしか見えなかった。その後、ローポリモデルを使って色々試してみたがなかなか自分が作りたいものが見つからなかった。それでも、試行錯誤を繰り返すうちに角のないシンプルな形状にリアルな質感のテクスチャを貼るのが好きというのが見えてきた。言うなれば、手触りが伝わりそうな『どうぶつの森』と言ったところ。
 3DCGと手描きの絵は別物と考えられがち。でも、それは誤り。CGだって手描きと同じように、誰かの真似をしたり、個性だと言って冒険をしたりして、描きまくらないと自分の好みなんて分からない。コンピュータの中の3DCGだが、「表現」として見れば根っこは手描きと同じ。