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、多すぎ

by 唐草 [2022/10/06]



 掲示板に書かれたたったひとつの書き込みで「ヤバいヤツ」認定される人がいる。書いている内容が支離滅裂だったり、明らかに危険な思想に傾倒している様子がなくても「ヤバいヤツ」扱いされることがある。
 それが、こんな感じに、妙に、読点の多い、書き込みを、する人だ。
 上の文は意図的に読点を増やして書いたが、素でこんな感じの書き方になっている投稿を見たことがある。内容がありふれたものでも読点が多いだけで尋常ならざる感じが漂ってくる。
 報告書などのビジネス文章を書くときは、読点を多用せず一文を短くするのが一般的。一文が100字を超えるぐらい長くなってくると書き手の技量が十分に高くない限り何を言っているのか分からなくなる。
 とは言え、SNSや掲示板への書き込みは文章を書くというよりも、喋り言葉を投げかける感覚が強い。だから、まとまりのない長い文章を投稿してしまうこともある。いくつかのことを一度に言おうとして複文になって読点を連発してしまうこともある。また、言葉を打ったあとにコピペで修正して妙な位置に読点が残ってしまうこともある。
 このように読点が多くなる場面をスラスラと列挙できるのは、ぼく自身も読点を多用しがちだから。今回は少なくしようと努力してここまで書いてきたが、どうにも落ち着かない。
 そんなぼくの目にも冒頭に挙げたような読点を多用しすぎる文章は異様に映る。まるで息をするように読点を多用してしまう理由に皆目見当がつかない。
 「息をするように」と比喩的に表現したが、案外これが比喩ではなく正解だったりするのだろうか?
 文章の意味や構造を明確にするために読点を用いるのが一般的な使い方。辞書を引いてもだいたいそんな事が書かれている。でも、辞書にはもうひとつの使い方として文章のリズムを表現するためともある。
 リズム面を最大限に優先して、あたかも楽譜のブレス記号のように読点を使っているのだろうか?もし、この推測が的中しているのだとしたら、読点を多用する人は自分の書き込みが音読されることを期待しているのだろうか?それはそれで怖い。やっぱりヤバいヤツ認定やむなしだ。