by 唐草 [2020/02/07]
ぼくは数年来『ナショナルジオグラフィック(以下ナショジオ)』を定期購読している。ゲームに明け暮れているせいで、半年分ぐらい積んでしまうこともある。でも、何ヶ月か遅れてでもすべての記事に目を通している。
ナショジオは、質の高い写真で有名な雑誌だ。でも、写真だけの雑誌ではない。写真と同じぐらい記事の質も高い。どの記事も内容を誰かに話したくなるような興味深いものばかりである。専門性という点では他の雑誌に負けているかもしれないが、科学から社会まで様々なことがらを多岐にわたって扱っている。科学の進歩に驚くこともあれば、遠くの国の惨状に目をつぶりたくなることもある。海外から見た日本の姿を知る機会もある。得た知識は授業などで実践的に活用できている。
売れ筋の書籍ランキングなどにテレビでよく目にするジャーナリストの名を冠した「これ1冊で世界が分かる」的な本が登場することがある。その手の本も悪くはないかもしれないが、所詮ひとりが書いた本に過ぎない。ナショジオのように各分野を専門とするジャーナリストたちが多様な視点で問題を記事にしている雑誌には到底敵わない。
ここ数年のぼくの教養の大部分を形作ったのは、ナショジオであることに疑いはない。ぼくは得られた成果に手放しで満足している。
だが、ひとつだけ頭を悩ませている問題がある。
ナショジオの記事には独特の読みにくさがあるのだ。他の本や雑誌を読んでいるときと比べて読む速度が上がらない。目から入った文章が、まるで耳から漏れているように頭の中を素通りしていってしまうことがある。
なぜなのか?
翻訳の影響なのだろうか?ぼくのオツムが足りていないせいなのだろか?読みにくい原因をあれこれ考えてきたのだが、ついに1つの結論に達することができた。
ぼくは固有名詞に振り回されていたのである。
世界の様々な場所で取材を行い、そこで活躍する多くの人々が紙面に登場する。その結果、紙面はグローバルなものになる。外国の街、生き物、個人の名前などぼくの知らぬ言葉で溢れている。見知らぬ固有名詞にぶつかるたびにぼくの頭は「これは何の名前なのだろう?」と一瞬考え集中力が削がれてしまう。
ナショジオをスラスラ読みこなすには、まだまだ教養が足りていないようである。