カレンダー

2021/12
   
 
       

広告

Twitter

記事検索

ランダムボタン

限界まで加速せよ

by 唐草 [2022/01/23]



 昨日、考えうる最高効率を実現するべく超合理化したゲームプレイが抱える矛盾について書いた。楽しくゲームを進めるはずだったのに、気づけば効率だけを追い求めレベル上げもアイテム収集も捨てていた。これではなんのためにゲームを遊んでいるんだか分からない。
 今のぼくにとってゲームは娯楽。ゲームを買うために仕事をして、ゲームを最高のコンディションで遊ぶために食事と睡眠に気を使っている。日常のすべては全力で遊ぶための準備。それなのに肝心のゲームで愉しみを見失っているようでは、生きる目的を見失ったのと同じである。
 今一度、遊ぶとは何なのかという哲学的命題と真摯に向かい合う必要がある。
 とは言うものの、考えれば考えるほど真剣に遊ぶということが何なのかわからなくなっていく。
 ぼくにとって真剣に遊ぶというのは、ルールを深く理解して楽な方法を見出すことに他ならない。技と装備の効果的な組み合わせを見つけること。経験値やお金を稼ぐスピードを限界まで上げること。こういうことを考えるのは、強敵に挑む準備をしているときぐらいに楽しい。そして、達成できれば強いボスを撃破した時と同じようにアドレナリンが溢れてくる。ボスを倒すのは一度きりかもしれないが、ぼくの発見は何度も繰り返し楽しめる。
 効率化を極めると戦闘は短くなり、レベル上げ時間も短縮できる。アイテムだって財布を気にせず買えるようになる。いいこと尽くめのようにも思えるが、別の見方をすると致命的な問題を抱えているとも言える。
 1つのゲームで遊ぶ時間が短くなってしまう。
 全力で捻出した余暇を余すことなく楽しもうとしているのに、遊びの時間を自分で短くしているのは矛盾しているのではないか。
 ぼくにとってゲームは遊園地の乗り物のようなもので、終りがあるとあると分かっていても1秒でも長く乗っていたい。それなのにぼくは、乗り物の速度を上げる方法を見つけて喜んでいる。
 クリアだけが目的なら特急に乗るのも悪くない。でも、ぼくは長く乗っていたいだけなんだ。やっていることとやりたいことが噛み合っていない。遊びってなんだろう?