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半音上の中級の壁

by 唐草 [2022/09/29]



 今、新しいプログラム言語と格闘している。新しいといっても言語が新しいのではなく、ぼくが初めて触れるという意味である。それを「新しい」と言うのは、己の不勉強さを棚に上げた厚かましい表現。「アメリカ大陸の発見」と同様に自分本位な考え方だ。
 言葉の形而上的な意味を議論したのは、ぼくが新しい言語に振り回されている苛立ちの現れ。どんな言語を学んだときも突き当たる共通の問題に直面して「またこれか…」と苦虫を噛み潰すような顔でPCに向かっている。
 新しい学びなのに既知の苦労に振り回される。プログラム言語の勉強はいつだって同じことの繰り返し。ここのログによると2019年の5月末のぼくは、2022年9月現在のぼくとまったく同じ悩みを別の言語で抱えていた。
 これを成長していないと捉えるのか、それとも向学心に満ちている証と捉えるかは自分でも判断に迷うところ。
 ぼくを悩ましているのは、ぼくが「中級の壁」と呼ぶ問題である。
 言語の文法を理解して、プログラムの参考書も読破できる。本をベースに改良型も作れる。でも、完全に0から何かを作ろうとすると途端に手が止まってしまう状況だ。
 こうなってしまうといくら読む本を増やしても効果はない。取り組むべきことは、楽しそうな参考書ではなく退屈で事務的な言語リファレンスを読み漁ること。
 そして自分が何を理解していないかを理解するしかない。
 これを理解できるかどうかが、プログラムを書けるようになるかの大きな分水嶺。これまでに、ぼくも何度も撃沈してきた山場である。頼れる本がなくなることを含めてこの状況のことを「中級の壁」と呼んでいる。
 プログラムを書けるというのは、「言語によらない普遍的なアルゴリズムが書けること」と「言語リファレンスを熟知している」という2つを同時にこなすこと。ぼくは、これまでの経験でアルゴリズムはどうにかものにできた。だから、あとはリファレンスを読めるようになるだけでいい。
 そうと分かっているけれど中級の壁を超えるのって本当に退屈。油断するとすぐにゲームで遊んでしまう。その対岸を目指しているのに…。