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窓の外を見るよりも

by 唐草 [2021/07/13]



 今や気象情報は、スマホを通じてリアルタイムに見るものになった。国交省の『川の防災情報』や気象庁の『ナウキャスト』を利用すれば、全国津々浦々の気象情報を手のひらの中で見ることができる。数分刻みで記録された雨雲の動きを見れば、素人だってこの先の天候変化を容易に想像できる。気象予報士なんてもういらないのではとさえ思えてくる。
 雨から身を守る傘は何百年間も大きな進化をしていない。それが許されているのは、ぼくらの天候に関する知識と情報が格段に増えたというのも一因かもしれない。先に挙げた気象情報サービスを活用すれば、雲間を縫って傘いらずの生活を送ることも夢でないように思える。
 これらのサービスは、少なくともぼくの生活に深く入り込んで行動を左右し始めている。「もうすぐ雨が上がりそうだから、少し待ってから出かけよう」とか「自宅周辺は晴れているけれど職場の方は降っているので傘を持っていこう」などと考えて行動するようになった。仮に情報を確認せずに出かけて雨宿りするはめになっても、雨の去る時間を簡単に予想できる。いつ雨がやむか分からず、ただ時間が過ぎるのを待つなんてことは何年も経験していない。
 ここのところ夕立のような雷を伴った急な豪雨が増えている。季節が梅雨から夏本番へと進んだことを感じさせてくれるとは言え、常にそんな風流なことを口にできる余裕はない。水害の記憶も新しいので雨雲と雷の動きに神経を尖らせてしまう。
 だから大粒の雨が雨戸に激しく打ち付け、雷鳴が響き閃光が街を照らす中、ぼくはネットに釘付けになっている。何度も何度もリロードを繰り返して、最新の観測結果を飢えたように追い続ける。雨雲の動きと変化を確認しては「これから激しくなりそうだ」とか「近くに雷が落ちた」とかひとり興奮気味に画面に食い入っている。
 今のぼくは、人工衛星やXバンドレーダーと言った最新鋭の機器が捉えた情報だけを信じている。いつからだろう、カーテンを開けて空を仰ごうとしなくなったのは。