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密林の星

by 唐草 [2019/12/20]



 インターネットが旧来の一方的で相手を問わない情報発信の場から特定の場所に集って相互に情報発信を繰り返すソーシャルネットワークの形へと姿を変えたことで、個人の発言の重みは大きく変わった。昔は、ネットに転がる情報を目にしても「海の向こうのよくわからない人が叫んでいる」ぐらいの印象しかなかった。今は違う。実際に姿は見えないかもしれないが、隣家に住む住人よりも強い存在感を感じることすらある。
 これは、インターネットが人と人の間に存在していた社会的立場、年齢、土地、性別といった隔たりを小さくしてくれた結果だろう。ぼくもネットを通じてリアルでは絶対に接点がなかったであろう人々に出会う機会を得たものだ。
 だが、人々の隔たりが小さくなりすぎてしまった故の弊害もある。主義主張が大きく異なる人々との衝突が増えたような気がする。また、悪意の有無にかかわらず嘘やデマに巻き込まれることも増えてしまった。そんな弊害の中で、もっとも身近で厄介なものが口コミやレビューではないだろうか?
 今の時代、店の評判は商品そのものよりも口コミに左右されることが少なくない。たった1つの些細な行き違いがネットに刻み込まれることによって、終わることのない暗い影を落としてしまうこともある。その逆で、嘘に塗り固められた虚構の姿が輝かしき実績として人々に記憶されることもある。
 こういう現実をたくさん見てきた結果、ぼくはAmazonのレビューについた☆を信じられなくなってしまった。ちょっと前までは、アンチのつける無為な批判の☆1とサクラがつける盲目的な称賛の☆5を無視すれば、だいぶ真実に近づくことができた。それももう昔の話である。今やどの☆を見ても真贋を判断できない情報で埋め尽くされている。
 なぜ、中国製でぼくだって名前を知らないメーカーのスマホのレビューが、300件も付いているのだろう?どう考えたって嘘で塗り固められてるとしか思えない。きっと具体的なクレームを述べている意見以外のレビューは、サクラだろう。それもAIが生成した文章かもしれない。
 ネットを介した人々の弱い結びつきの隙間は、もうAIに侵食されてしまっているのだろう。気がついたときには手遅れだった。口コミの時代はもうすぐ終わりを迎えるに違いない。その先で、ぼくたちは何を指針に歩いていくことになるのだろう?