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こざとへん

by 唐草 [2019/10/23]



 電車に乗っていたら隣りにいた大学生2人が、友人の名前について話をしていた。盗み聞きするつもりはなかったのだが、2限の授業へ向かう学生ぐらいしか乗っていない午前の遅いのんびりとした電車の中では声の方から耳に飛び込んでくる。
 聞こえてくる会話をつなぎ合わせると友達の名前の漢字について話しているようだった。大きな集団の中にいると隣に座っている人の名前さえ知らないことがある。知っていたとしても音しか分からないなんてことは、しょっちゅうだ。ぼくも以前勤めていた会社の同僚の顔を思い出せても、フルネームを漢字で書ける人はいない。何年も会社で顔を合わせていたが、下の名前を知らない人の方が多いだろう。
 だから、電車の中で元気よく話す彼女らがクラスメイトの名前を漢字で書けないことにも納得できる。むしろ、話したことも無いような人のフルネームを漢字で書けるほうがストーカーじみていて怖い。
 「こざとへんの○の字だよ」と友人に説明をしていた。
 その会話を聞いたぼくは、なんとも懐かしい気分になった。「こざとへん」この言葉を聞いたのは、本当に久しぶりだ。20年ぶりぐらいだろうか?もっと前の話になるかもしれない。
 中学受験の時に、常用漢字すべての偏(へん)や旁(つくり)と言った部首を覚えさせられた。漢字のカルトクイズでもやっているのではないかというような問題にも対応できるべく必死に暗記した。暗記した知識が本番の試験で輝くことはなかったが、それでも完全に無駄になったわけではない。漢字辞典を引くときに役立ったものだ。
 それも昔の話。今となっては辞書を引くことも無いし、それどころか手で文字を書くことも無い。部首の知識は、ぼくの幼き日の記憶としてノスタルジックな香りとともに頭に残っているだけ。
 「こざとへん」という言葉が、記憶の封印を解く魔法の呪文だったのだろう。しばらくの間、ぼくは懐かしくも大変だった受験期の記憶の中に戻っていた。やがて電車が目的地に着き、ぼくも現実へと戻ってきた。そして、さらなる現実がぼくを襲う。
 「こざとへん」ってどういう漢字だったっけ?まるで思い出せない。「のぎへん」とか「しんにょう」、「さんずい」などといった他の部首はどうにか思い出されるが、「こざとへん」だけはまるで思い出せなかった。ぼくの頭に残っていたのは、勉強をしたという記憶だけだったのである。まるでラベルだけが残った空き瓶みたいな人生だな。