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ボッチお断りの食堂

by 唐草 [2018/07/30]



 何年か前にも書いたように記憶しているが、ある季節になると職場の食堂に入れなくなることがある。別に素行の悪さがたたって出禁になったわけではない。愛想の良い客ではないが、迷惑な客では無いはずだ。
 営業上の配慮で食堂に入れなくなっている訳ではないし、ぼくの苦手なギラギラした人やキラキラした人に食堂を占拠されていてぼくのような(ブログでブツブツ文句を垂れるだけの)陰鬱な人間が近づきがたい状況になっている訳でも無い。もっと物理的な理由である。
 自動ドアが反応してくれないのだ。
 空腹で血糖値が下がって死にかけた紙のような顔色で食堂を訪れても、重箱の隅をつつくような姑息な議論で学生を論破して満足した気分で意気揚々と腕を振りながら食堂を訪れても自動ドアが反応しない。そこに誰かが居ることを頑なに認めない冷徹な門番のようにぼくの前に立ちふさがっている。
 なぜ自動ドアが反応しないのだろう?周囲で自動ドアに困っているという話を聞いたこともない。ぼく以外の誰かが自動ドアの前で四苦八苦している姿を目にして同志を見つけたような心持ちになったこともない。
 あの自動ドアは、あたかもぼくだけを通さないようにしているかのようなのだ。
 だからと言って、そこに超常的な力や誰かの意図が介在していると声を荒げるようなことはしない。ぼくの影が薄いという抽象的な理由が作用しているとも思えない。不思議なことの裏には、いつだって些細な理由が隠れているものだ。
 一年中入れないわけではない。特定の季節だけに入れないのは、ぼくの経験から確かなことだ。もはや風物詩のように捉えている。服装が悪いのかとか、姿勢が悪いのかとか様々なことを考え、自動ドアの前で様々な振る舞いをしたがドアは開かなかった。これではガラス戸の前で蛸踊りしているバカでしかない。
 食堂には入れず途方に暮れることも少なくなかった。そんな時は、電話をするフリをして誰かが出てくるのを待つか、他の人が食堂に入るのを待つしかなかった。ただおとなしく待つのではなく、電話をするフリをしてしまうあたりがぼくの小心さをよく現している。
 今日も蛸踊りをしていたら、ふとあることに気が付いてしまった。
 それは、ぼくのようにひとりで食堂に足を運んでいる人が少ないという事実である。多くの客がグループで食堂を訪れている。ひょっとしてこれが自動ドアが開かない理由なのではないだろうか?自動ドアの誤作動を防ぐために複数人を感知した時しか扉が開かないようなセンサー設定になっているのでは無かろうか?
 だとしたら職場の食堂は、ボッチお断りということなのか?ひどい、ひどすぎる。あまりにも差別的である。
 と思ったが、これだと季節限的な現象である理由が説明できない。うーむ、謎だ。
 ちなみに今日は、いつものように蛸踊りをしたけれど開かず、先述の事実に思い至り絶望して、さらに時間が遅いので他に誰も通らないだろうと食堂の利用を諦めて自動ドアの前からどいたらドアが開いた。自動ドアにおちょくられているとしか思えない。