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密室の異文化交流

by 唐草 [2019/07/30]



 風邪でダウンする前にエレベーターでのマナーについて書いた。降りる際にエレベーターの閉じるボタンを押していく気遣いのできるスマートな姿に憧れていたが、この振る舞いはエレベーターの保安基準からすると無意味な行為になりがちだったという悲しい話である。それを考えるとエレベーターのマナーなんて降りる人を優先して動くことぐらいしか無いだろう。ゴンドラの奥の方に降りたい人がいたら自分も一旦降りて道を譲る。これさえできれば十分だろう。
 もしかしたらエレベーターが動いているときは静かに階数表示を眺めるというのもある種のマナーかもしれない。狭い空間なのでどちらを向いても誰かの視線と交差してしまう。そんな気まずい瞬間を避けるためにも一心不乱に階数表示を眺めるのは有意義な行動であると言える。
 エレベーターの中では年齢も肩書も関係ない。みんなが協力して気持ちよく上下移動ができるのが一番だ。凝り固まった上辺だけの実益のないマナーなんていらない。これが合理主義的な考えを至高とするぼくの持論である。
 一方で、世の中には様々な考え方がある。エレベーターのマナーで文化の違いを感じ取った出来事があったのを思い出した。
 ぼくの勤める大学はマイナーな小さな私大だが、それでも様々な国籍の学生がいる。留学生なのか在留外国人なのかは分からないが、同じ母国語を話す者で集めっていることが多い。アジア系の学生は見た目だけでは絶対に分からない。聞き取れない言葉を口にしているのを耳にして初めて「あぁ、根っこは外国にあるんだ」と理解できる。
 エレベーターを降りる際に学生が小さなハンドジェスチャーで「お先にどうそ」という感じを示して道を譲ってくれたことが何度かある。これだけ大勢集まると数人は丁寧な若者もいるものなんだなぁと感心をしていた。3度めに道を譲ってもらった時に遅ればせながら振る舞いの出自を理解できた。ぼくの後から降りた学生は、エレベーターホールで待っていた友人に日本語ではない言葉で声をかけていた。ぼくの耳が正しいのであれば韓国語だと思う。
 韓国と言えば儒教道徳に基づく年功序列の考え方が、日本以上に色濃いと聞く。道徳心、つまり生まれ育ったマナーは異邦の地にやってきたとて簡単に消えるものではないのだろう。相手が猫背で顔色と姿勢の悪いぼくであったとしても、自分より年を食っているというその一点だけで自然な振る舞いとして道を譲ってくれたに違いない。
 小さなマナーを巡る密室の異文化交流である。