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社会の不正解

by 唐草 [2019/07/25]



 採点する側の都合だけを考えれば、テストはマークシートが一番楽だ。癖のある字に悩まされることもないし、機械が判定するので採点も正確。なにより正解か不正解の2つしかないので、採点基準のブレが起きない。途中点とかの曖昧さは皆無だ。だからこそセンターテストのような大規模で公平さが求められる試験でマークシートが用いられているのだろう。
 でも、学習成果を測る方法としてマークシートが最適かと問われたら首を縦に振ることはできない。
 先にも挙げたように途中点は一切加味されない。数学の問題で数式を組み立てることに成功しても、最後に計算を間違えてしまったらそれまでだ。それ以上に問題なのが、運の良さだけで満点が取れる可能性が残されていることである。
 懸命に問題に取り組んであと一歩のところまでたどり着けた受験者よりも、何も考えずにサイコロを振った受験者が評価されるというのは絶対に間違っている。でも、それを是正する術はない。
 マークシートを利用しなければ、このような不均衡を回避できる可能性は高まる。数学だったら計算式を評価すればいいし、国語や英語だったら回答文の中の正解の部分に途中点を加味すればいい。でも、記述式のテストを導入すれば100%の実力を計れるかといえばそうではない。まだ、問題は残っている。特に暗記が物を言う科目での問題が大きい。
 例えば歴史のテストを考えてみよう。
 正解が「北条早雲」となる問題があったとしよう(ぼくの歴史の知識では早雲が答になる問題を作れない)。記述式のテストならフルネームで書かないと不正解になるだろう。下の名前が出てこなくて氏である「北条」だけを書いても得点は得られないことが多い。同じく名前だけでもダメだ。でも、考えてほしい。氏名の一部を書けた受験生と何も書けずに空白で答案を提出した受験生の評価が同じ0点というのはあまりにも不公平ではないだろうか?一部だけ書けた受験生は、マークシートなら正解できていたかもしれない。
 年号を答える問題で1、2年間違えるのと100年間違えるのでは訳が違う。数年のミスであればどの時代に出来事が起きたかの認識は合っていると言えるし、歴史研究が進めば後々に正解になる可能性だって秘めている。
 暗記が物を言う科目、特に社会系科目の採点って数学以上に正解か不正解かがデジタルな2値だけで決まっている印象が強い。もっと大局観を持って柔軟な採点をしないと学習成果を見誤るのではないだろうか?