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丁寧な動きを永遠に

by 唐草 [2019/04/29]



 ぎっくり腰は、もう日常生活に大きな支障はないレベルまで回復した。結局、歩行補助のために購入したノルディックウォーキング用の杖を使うことはなかった(動けるようになってから買ったのだから当然だ)。
 とは言え、ぼくの脳裏には骨がずれたような生々しい痛みが焼き付いている。ぎっくり腰の再発を恐れるに十分な記憶である。なにより、まだ体の向きや角度によっては危険な違和感を覚えることがある。だから、今日もぼくは丁寧な動きを心がけている。
 ここで言う丁寧な動きには、2つのポイントある。1つは、足元のものを拾ったり低い位置の棚を開けたりするときの動きだ。腰を曲げて前傾姿勢にならないように努めるキャビンアテンダントのように膝を折ってかがむように心がけている。膝を犠牲にして腰を守っているのである。もう1つは、動きそのものではなく動くスピード。ちょっとでも違和感を覚えたらすぐに行動をキャンセルできるようにゆっくりとした動きを心がけている。
 そんな訳で、この1週間ぼくの動きは普段のせっかちで猫背ないかにも小心者っぽい動きとは一味違っていたことだろう。優雅とまではいかないものの、落ち着いた動きに見えたはずである。丁寧な動きもだいぶ体になじんできたが、この動きを未来永劫続けることはできないと思う。
 今は普通の動きをすると腰が危険信号を出してくれるので丁寧な動きを意識的に行えている。普段通りに動いた際に走るちょっとした痛みが、まるで腕のいい馬の調教師の鞭のようにぼくの反省を促してくれている。とは言え、関節のひとつ、それも腰という人間にとってもっとも大事な部分を使わないようにしているので人体構造的には不自然な動きと言わざるを得ない。とっさの時、例えば目の前に急に物が落ちてきたときなんかは反射的に腰を曲げて屈んでものを拾ってしまう。
 さらに回復が進めば、ぼくの体が愛の鞭的な危険信号を発しなくなる。そうすれば、あっという間に普通の動きに戻ってしまうことだろう。そして、数年後に再び同じ過ちを繰り返すまで、無自覚で無反省な生活が続くのである。今ここで腰を守るために丁寧な動きで生涯を送ることを誓ったとしても、1週間もすれば忘れていることだろう。
 そんな未来が占い師でなくても見えている。キャビンアテンダントのみなさんは、どうしてあの動きをキープできるのだろう?
 いや、逆なのか?空での乗務中にぎっくり腰になると十数時間の苦悶が続き悪夢を見ることを分かっているから自ずと丁寧な動きになるのかもしれない。卵が先か鶏が先か見ないな話になってきてしまった。