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小春日和に河へ

by 唐草 [2019/11/24]



 小春日和という言葉は、その柔らかな語感に反して使用が難しい言葉だ。冬が小休止したような空気の温む日に対して季節を問わず使いたいところだが、これはダメらしい。晩秋から初冬にかけての暖かい日だけを指す言葉だそうだ。
 つまり、11月下旬なのに20℃を超えた今日は模範的な小春日和だったということになる。ぼくが暖かさに誘われるように自転車にまたがって河を目指したのは当然の成り行きと言えるだろう。
 今日は、多摩川へと向かうことにした。土手の上で強い風に吹かれながら広く穏やかな水面を眺めたくなった。ここのログを確認する限り1年半近く訪れていないようだ。また、台風の傷跡がどうなっているのかを河原に立って自分の目と手足で体感したいという目的もあった。
 久々にたどり着いた土手から眺めた多摩川は、記憶の中の姿とはだいぶ違っていた。水にやられて焼け野原のようになった上流部を何度も見ていたが、中流域はそれ以上にダメージを負っているように見えた。また、慣れ親しんだ場所なので些細な変化でも写真を見比べているかのように分かる。
 河原に生い茂っていた背の高い草は全滅である。不自然なところに根が顕になった流木がいくつも転がっている。鉄道の橋脚は周囲の地面が抉り取られて長くなったかのように見える。中洲からは一切の植物が消えているので対岸がよく見える。対岸の土手は削り落とされたかのように鋭く崩れて、地中の赤い土がむき出しになっていた。
 土手の上からでも変化は見える。でも、わざわざ河までやってきたんだ。もっと流れのそばまで寄って観察をしたい。
 マウンテンバイクで強引に泥だらけの河原を横断していく。見た目にはいつもより水たまりが多いだけにしか見えなかった河原だが、自転車で走ってみたらその違いが理解できた。小麦粉のように細かい砂が厚く堆積して砂浜のようになっていた。マウンテンバイクの幅広タイヤなのに底なし沼を走っている感覚にとらわれる。気がついたら4cm程度砂の中に沈んでいた。厚い泥とフワフワの砂に阻まれて水面へとたどり着くことは、ついに叶わなかった。
 この砂は洪水がもたらすという肥沃な大地なのだろうか?今は破壊の跡しか見つけられないが、次の春には再生が始まるのだろうか?マウンテンバイクのゴツゴツしたブロックタイヤが巻き上げる泥を全身で浴びてスタックしたぼくの目には、そんな明るい息吹は感じられなかった。