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趣味の世界

by 唐草 [2019/10/02]



 ぼくにとってPCは、あるときは苦楽を共にする仕事道具である。また、別のときは余暇を楽しむための遊び道具である。言うなれば、人生の相棒のような存在である。
 PCを遊び道具として考えた時、どんな使い方を想像するだろう?多くの人は、ゲームをプレーするためのハードと考えるだろう。動画を見るためのAVツールという捉え方の人もいるかも知れない。別の人は、ひとりオーケストラも実現可能な魔法の楽器として活用するだろう。
 ぼくの場合は、そのいずれとも違う。もっとマニアックな遊び方をしている。昨日の記事を書いたことで、人とは異なる自分の愉しみにようやく気がつけたのである。
 ぼくはPCオタクだがハードを買うことは少ない。デスクトップ機は2010年モデルを使っている。サーバだけは去年買い換えているが、これも数年ぶりの置き換えだった。ハイスペックの最新型に憧れを感じているし、新製品の登場に一喜一憂しながら自作マシンの構成を考えることもある。でも、購入まで至らない。カタログを見ているだけで十分なのだ。
 そんなぼくだが、年に数度PCパーツを買っている。なにも定期購読すると数年後に完成する某雑誌のようなスタイルでPCパーツを揃えているのではない。仮にそんなことをしても、完成するのは時代遅れのチグハグPCになってしまう。
 ぼくが購入しているのは、古いPCを延命させるためのパーツだ。先日のメモリも延命パーツ。少しずつパーツを換装していくことで、PCを1日でも長く使おうと目論んでいるのだ。
 わざわざコスパの悪い古い規格のパーツを買うぐらいだったら、格安の最新PCを購入したほうが高い処理能力を得られる。また、動くかどうか分からないPCパーツを買うことも少なくない。そこまでして、なぜPCの延命に熱意を注いでいるのか?
 これを説明するのは、難しくもあり、簡単でもある。簡単な説明をしてしまえば「趣味」の一言以外に適切な言葉はない。好き好んで苦労を買っているのである。古い車をリストアして乗り回している人たちに通じるものがあるかもしれない。
 たかがPCかもしれないが、ぼくにはとっては苦楽をともにした相棒である。ちょっと性能が劣ったからと言って簡単に切り捨てることなどできない。そんなことは、ぼくにとって年老いたからと言ってペットを捨てるようなものである。悪戦苦闘してでも、相棒が輝きを取り戻すさまを見たいのだ。
 趣味でもあり、愛情でもある。どちらしても歪んでいるかもしれないが。