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根源的な不快感

by 唐草 [2019/03/02]



 街に貼られたポスターが、物議を醸しだすことがある。数年前に伝統のお祭りのポスターが卑猥だと大騒ぎになったことがある。今週もアニメコラボの自衛隊ポスターに非難が寄せられているとのニュースが流れていた。
 雑多な日本の街中に貼られているポスターは山ほどある。その中で記憶に残るのはほんの一握り。多くのポスターは存在すら認知されていないだろう。よっぽどポイ捨てされたティッシュペーパーの方が目立っているに違いない。そう考えると炎上したポスターは、製作時の配慮が足りなかったとは言え、デザイン的な訴求力は十分にあったと言えるのかもしれない。まぁ、成人式に白い袴で現れる金髪DQNみたいな悪目立ちのようなものだけれども…。
 イラストを書くだけなら趣味に走っても、性癖全開でも構わない。だが、公共の場所に何枚も貼られるポスターとなるとそうもいかない。表現の自由が保障されているとはいえ、超えてはいけない暗黙の一線がある。それを見極められるかどうかが、デザイナーのスキルとセンスなのだろう。
 一方で完全に放任されているポスターがあることに気がついているだろうか?ぼくが、「嫌い」を漢字で書くほど嫌っているポスター類がある。
 小学生が図工の時間に描かされた下手くそな啓蒙ポスターである。「知らない人についていかない」とか「暗くなる前に帰ろう」とか「自転車に鍵をかけよう」とかそういうありふれた標語に拙い絵が添えられた作品である。これが大嫌いなのだ。だって、多くが見るに堪えないレベルで下手クソじゃん。
 もちろんこういう啓蒙ポスターを作ることで、小学生自身が防犯意識を高めることに繋がるのは理解している。学校や通学路に貼るのであれば、バンバン作って壁を覆い尽くす勢いで貼ってもらって構わない。
 でも、多くの人が行き交う駅などの公共スペースに貼るのは勘弁してほしい。景観を害している。
 今週、ぼくが利用している駐輪場に貼られている児童制作のポスターが新しくなった。そのうちの一枚が、身の毛がよだつほどに気持ち悪かった。この駐輪場を利用するのは辞めようかと真剣に考えるほどに気持ち悪い。
 ポスターの標語は「知らない人の言うことは信じない」的なものだった。絵で嘘つきを表現したかったのか、ポスターには顎に5つの唇を持つ人が描かれている。トランプの5のカードの図柄のように配置された真っ赤な唇が、顔の輪郭を認識できなくなるほどの不安定さを生み出している。本当に気持ち悪い。心の根源にある恐怖を具現化したようで、まるで悪夢にうなされているときのような不快感しか感じられないポスターだ。
 無邪気さが悪魔を生んでしまったようだ。こういう見る者を不安させるポスターを貼るのは本当に勘弁してほしい。小学生が授業で無理やり描かされたポスターなどすべて焼き払いたいと心の底から願っている。