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ぼくを縛るのは

by 唐草 [2019/09/02]



 日本語にローカライズされているとしても海外で開発されたゲームで遊ぶと面食らうことがある。大抵の場合、決定ボタンとキャンセルボタンの配置が日本製ゲームの逆になっている。PS系だと○がキャンセルで×が決定といった具合である。慣れないと、この海外配置には本当にイライラさせられる。
 店で買物をするときも、装備品を変更するときも「よしOKだ!」と自信満々にボタンを押すと、それまでの選択が水の泡と消えてしまう。逆に「ミスった」と焦って取り消そうとすると最後のダメ押しをして失敗を確定してしまう。ゲームの難易度は、たった2つのボタンが逆なだけで急上昇だ。
 文化的な影響で○と×の配置が決まっているそうだ。つまり、人間工学に基づく運指効率とかは考慮されていない。だから、日本式と海外式のどちらが優れているなんてことはまったくない。あくまでどちらに慣れ親しんでいるかというだけのことだ。
 ここのところ海外製のゲームで遊ぶ機会が多かったので、ぼくの中では×ボタンの位置が決定ボタンの場所として体に刻まれている。そのせいで、久々に日本式配置のゲームで遊んだら大混乱だった。今は海外式のゲームと日本式のゲームの両方を遊んでいるので、どちらのゲームでも操作ミスばかり。自分のミスに思わず声を上げてしまうことも少なくない。両方の操作がゴチャまぜになってぼくは混乱に陥っている。
 同じようなことはPCでも起きている。普段はWindows用キーボードでMacを操作している。でも、時々MacキーボードでWindowsを操作することがある。このときのぼくは、まるでパソコン教室に通う生徒のようにおぼつかない操作になる。日本語入力への切り替えができない姿は、あまりにも情けない。
 こういう普段とちょっとだけ違う配置のものを操作するときの混乱は、脳の混乱なのだろうか?それとももっと肉体的な混乱なのだろうか?ぼくにとってキーボードもゲームコントローラーも体の延長線上にある。「ボタンの場所はここだ」とか考えることもなく叩いている。それは声を出すときに喉の筋肉の使い方を意識しないのと同じだ。
 だからこそ、操作ミスが自分のどこから発生しているのか皆目見当がつかないのだ。「人間の体って不思議」とのんびりと感心するよりも、自分の体を制御できていないという身体の不一致に近い薄気味悪さを感じている。