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さよなら紙箱の時代

by 唐草 [2019/09/29]



 今日は、部屋の大掃除をした。箒も掃除機も使っていないので模様替えと言ったほうが適切かもしれない。
 前にも書いたが、ぼくの部屋のレイアウトは見た目より使いやすさを重視した配置になっている。机から動かず本や書類にアクセスできることとベッドから一歩も動かずに快適にゲームができることの2つだけを念頭に置いた家具配置である。これは意図的な配置というよりも、使っていくうちに自然とこの配置に落ち着いた結果である。ぼくはこれを獣道配置と呼んでいる。
 自然に発生した配置だが、その状態が永遠に続く訳ではない。ぼくの生活スタイルの変化や増えた品々の影響を受けて徐々に配置は変化していく。やがて、生活環境の変化に耐えきれなくなって破綻を迎えてしまうこともある。このサイクルも自然環境の変化で道筋が途絶えることもある本物の獣道と同じである。
 ぼくの部屋は、アクセス性だけを考慮して部屋の中央に本棚が置かれていた。これが部屋の動線を完全に塞いでいた。廊下からの視線を遮るように鎮座する背の高い本棚は、まるで引きこもりの要塞の城壁のよう。そして、ハウルの動く城のように無秩序にかさを増していく本棚は、ついにエアコンの風さえ封じるようになってしまった。もう、生活空間としては破綻しているとしか言えない。
 ぼくは、重い腰を上げて部屋の整理をすることにした。すでに物であふれる部屋は、物の再配置だけでは再生できない。断腸の思いで、様々なものを捨てていくしか道は残されていなかった。流行りの表現をするならば断捨離である。部屋の機能を取り戻すための作業なので、心がトキメクような思い出の品もバンバン捨てていくこととなった。
 今日、ぼくが自分の心を引きちぎるような気分で捨てたのは、PCソフトの箱である。他の人からすれば、ただの古い紙箱にしか見えないかもしれない。でも、ぼくにとっては、これまで歩んできた勉強と仕事の歴史そのものなのである。
 15年ぐらい前までPCソフトやOSは、週刊少年誌ぐらいの大きさの紙箱で売られていた。ぼくの部屋には、MacOSの紙箱がいくつもあった。9から始まり、10.0〜10.4までの大きな紙箱がバージョン順に並んでいた。そして、CSになる前のPhotoshopとIllustrator、今はなきMacromediaのStudio MXの箱もあった。DL販売が主流の今となっては、圧倒的な存在感のある大きな紙箱と分厚い紙のマニュアルが懐かしくもある。
 だが、その思い出コレクションも今日まで。自室に新たな獣道を築くため、下草を刈るかのごとく紙箱を捨てたのである。

※ライセンスキーとディスクは捨てずにキープしてある。