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新しい日常の象徴

by 唐草 [2021/01/06]



 コロナ禍の襲来によって突貫工事で作り出された新しい日常。本来、日常というのは何気ない活動の積み重ねの中から自然に発生するもの。人為的に日常を作ろうなんて言うのは無理な話。初めこそうまくいったとしても、ぼくたちの前に現れたのは窮屈なストレスを積み重ねていく毎日。こんな毎日を続けていたら小さなほころびが、いくつも生まれてくる。やがて大きな破綻へとつながっていっても不思議はない。
 それでも新しい日常を受け入れようと様々な努力を重ねてきた。今や屋外でマスクを付けていないのは、街中を半裸で歩いているよりも忌み嫌われるようになった。もはやパンツとマスクは同じような存在になりつつある。手をアルコールで消毒するのも日常だ。2020年は人生で一番消毒薬を使った年だし、お酒をあまり飲まないぼくは飲んだアルコールより消毒で使ったアルコールのほうが遥かに多いはず。
 人によってコロナ禍の新しい日常を象徴するものはさまざまだと思う。リモートワーク、マスク、ソーシャルディスタンスと新たに取り入れられたものを挙げる人もいるだろう。飲み会の中止、イベントの中止、お店の廃業と無くなったものを挙げる人もいるはずだ。
 ぼくにとっての新たな日常の象徴を1つ挙げるとしたら、それは遠隔授業の実施になる。
 フリーランスをしていた何年も前から在宅ワークは普通のことだったし、リモートワークも2018年ぐらいから利用していた。頻度こそ変わったが、別段新しい存在ではなかった。だが、遠隔授業の実施は想定すらしたことがなかった。ぼくにとって完全に新しい存在だった。
 今日、ぼくの担当する2020年度の授業がすべて終了した。前期と後期をあわせて3コマの授業が遠隔での実施だった。最後の枠が遠隔授業だったので、遠隔授業で始まり遠隔授業で終わった1年となった。そう考えると遠隔授業こそぼくにとっての新しい日常と評するにふさわしい。
 遠隔授業を1年やった経験から言えることは、教室で授業をしていたときよりも心理的に疲れたということ。今までの経験や勘が通じているのかサッパリ分からないので、初めて授業を受け持ったときのような疲労感に襲われている。
 やっている側がこれなんだ、受けている側はもっとクタクタなんだろう。