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小さいのが好き

by 唐草 [2020/12/11]



 これまでに20台近いのPCを使ってきた。ノートもデスクトップも使ってきたし、自腹で購入したものもあれば会社に買ってもらったものもある。もう処分してしまったPCも多いが、それぞれに思い出がある。懐かしい機器のことを思い出すと、当時の自分と自分を取り巻く環境が蘇ってくる。いい思い出もあれば、そうでないものもあるが、いつでもぼくの側にPCがあった。
 学生時代はノートPCに憧れを抱いていた。当時は今の2倍ぐらいの価格だったので簡単に手を出せるものではなかったが、親に頭を下げたり、バイト代をつぎ込んだりしてMacのノートを背負って通学していた。今で言う意識高い系そのものだ。意識高い系の学生を見ると胸が苦しくなるのは、背伸びをしていた昔の自分を思い出すからかもしれない。
 その後はサーバ用PCを購入したり、廃棄予定のPCを譲り受けたり、退職金代わりに仕事場で使っていたPCを物納してもらったりとさまざまな方法で何台ものPCを使ってきた。この変遷を順にたどっていくとぼくの好みが見えてくる。
 購入するPCがドンドン小さくなっている。そして今、極限まで小さいラズパイにたどり着いた。
 学生時代に抱いていたノートPCへの憧れは失った。持ち歩くのならタブレットが一番だと考えるようになったからだ。今はPCを買うならデスクトップで十分だと考えている。ただ、巨大でパワフルなデスクトップ機には魅力を感じない。もちろん数値化された性能を見るとワクワクする。でも、性能に胸を高鳴らせるとの所有したいという想いは別物。
 ぼくが欲しいと思い、実際に購入しているのは、特殊な規格のマザーボードを採用したミニPCばかり。必要なものがコンパクトにまとめられている様に惹かれているのだろうか。自分でもなんで小さなPCばかり買っているのかよく分からない。今のぼくは小さなPCを見るとガマンできないという末期的な症状を示している。本能が刺激されているような感覚さえある。ある種の変態の域に至ってしまったようだ。
 先日、職場で購入したRyzen搭載のミニPCは、あえて巨大なフルタワーPCの上に置いて小ささを際立たせている。そして、小ささを確認する度に満たされた気分になる。と言うか、小さな筐体を見ているだけで楽しい。
 もはや、いろいろ手遅れ。