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レベルアップのとき

by 唐草 [2020/09/08]



 急に何かができるようになる瞬間がある。例えば自転車に乗れるようになる瞬間なんかが分かりやすい。それまではフラフラしていてまっすぐ進むことすらできなかったのに、ある瞬間を堺に足をつかずいくらでも乗れるようになる。5m乗れていたのが6mにとちょっとづつ伸びていくのではなく、「乗れる」と「乗れない」の間にある段階を乗り越えるような変化だ。
 この劇的な変化はゲームのレベルアップに似ている。自転車スキル取得は、呪文やら技を使えるようになるようなもの。現実世界では華やかなファンファーレは聞こえないが、どこかで小さなファンファーレが鳴り響いていても不思議はない。
 日々こういう劇的な変化に恵まれていたら自分の成長をもっと実感できるだろう。残念なことに自転車に乗れるような劇的な変化を経験することは稀。ましてや急に手から火を出す呪文を身につけることなんて絶対にない。毎日少しずつ成長していたとしても、自分自身でそれを実感することは難しい。
 ぼくは大学時代からずっとプログラムを続けているが、レベルアップと呼べる段階を駆け上がるような大きな成長を2回感じたことがある。どちらも学生時代の話。Javaを学んでいるときに初めてポインタのポインタの意義を理解した瞬間とゲームを作っていてオブジェクト指向の有効性を理解した瞬間だ。
 この2つの理解は劇的な変化をもたらした。ポインタのポインタを理解した瞬間にJavaが謎の呪文ではなくなった。目の前の霧が晴れ渡って道が見えたようだった。オブジェクト指向の有用性を理解した瞬間は、開発に苦戦していたときだったので溺れいた水の中から脱出できたようだった。
 あれからだいぶ月日が流れたが、なにか劇的な変化はあっただろうか?数年前と比べるとスキルアップしていることだっていくつかあるが、レベルアップのような劇的な変化は感じていない。筋トレのようにジワジワと成長しているに過ぎない。
 強いてあげるとすればゲームのプレイスキルぐらい。初見では絶対に勝てないと思ったボスでも、一度勝つとコツを掴むのか以降は楽になる。肩の力が抜けただけかもしれないが、小さくても立派なレベルアップと言える。ゲームには自分の成長を感じられる確かな瞬間があるので、ぼくはゲームが好きなのかもしれない。
 なお、今日はマスターしたと思っていたステージで惨敗してご機嫌ナナメである。