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鼻油

by 唐草 [2020/06/15]



 マスクの供給は、世間がヒステリックになっていた時期に比べるとだいぶ落ち着いてきたようだ。それでも、まだ欲しいときに必ず買えるわけではないし、コロナ騒動前の2倍ぐらいの価格となっている。コロナへの取り組みがいつまで続くかなんてことは誰にも分からない。有効なワクチンや治療薬が市販されるようになるまで数年はかかることだろう。それまでは予防に徹して耐えるしか無い。まだまだマスクは貴重品で有り続けるのだろう。
 我が家には現在100枚ぐらいの不織布マスクが備蓄されている。しばらくの間は、この備蓄がぼくの頼みの綱である。
 例年、ぼくはインフルエンザ予防にマスクを着用している。元来ケチな性分なので、使い捨ての不織布マスクを2日に渡って使っていた。病院レベルの衛生観念からするとぼくのケチさに支配された振る舞いは、唾棄すべき愚行と言わざるを得ないだろう。しかし、心配を他所にマスクの使い回しで不利益を被ったことはなかった。ぼくなりにマスクの裏表の取り扱いに気を配るなどの注意を重ねていたので、数年間インフルエンザどころか普通の風邪にもかかっていなかった。
 当時は不衛生と見られていたマスクの使い回しも、今では当たり前の行為になっている。使い捨てマスクを限界まで使い倒すのが、これからのスタンダードになっていくのだろう。
 ぼくも本来は使い捨てである不織布マスクを何度も洗って使いまわしている。今使っているマスクは既に3回ぐらい洗っているが、立体加工の折り目もハッキリしたままだ。あと数回洗っても全く問題はなさそうに見える。この現実を目の当たりにすると、従来の使い捨てが飽食の時代を生きる貴族の振る舞いのように見えてしまう。
 今使っているマスク1枚で、夏を乗り切ることだってできるのではないか?100枚あればワクチンが完成するまで持ちこたえられるのではないか?そんな希望さえ湧いてきた。
 だが、ぼくのこの希望は洗濯とともに洗い流されてしまった。
 白いマスクを洗っていたら、一部だけ半透明に見えた。その部分は、ちょうど鼻の頭が当たるところ。どうやらここのところ暑いさなかにマスクをしているので、汗とともに吹き出した鼻油がマスクに染み込んでしまったようだ。自分の脂だが、汚いな。
 うーん、マスクの限界は外からではなく内からもたらされるのか。