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推理は疲れる

by 唐草 [2020/03/21]



 海外ドラマ好きのぼくは、ここのところイギリスの刑事ドラマにハマっている。2014年ぐらいから放送されている息の長いシリーズを今年の2月から見始めた。連日、最新話に追いつこうと視聴している。
 舞台は1960年代後半のイギリス。ドラマを見ていて痛感したのだが、ぼくは1960年代のイギリスがどんな社会だったのをまったく知らない。いや、イギリスに限った話ではない。日本の1960年代がどんな時代だったのかも全然分かっていない。戦後の現代史は、高校までの歴史の授業だと軽んじられる傾向が強いような気がする。教えている教員が生きていた時代なので、江戸時代のように歴史として語りにくいからだろうか?
 話が逸れてしまったが、ぼくいがハマっているのは1960年代に興味があるからではない。殺人事件を取り巻く人々のドラマの筋書きがとても良くできているからだ。
 ぼくがミステリー作品に触れる際は、それが映像作品であろうと文章作品であろうと自分が探偵になったつもりで犯人を予想している。本気で犯人を当てようと躍起になって前のめりな姿勢になる。今見ているドラマに対しても探偵気取りの姿勢を崩していない。
 普段のぼくの推理は4割ぐらい正解するのだが、このドラマに限っては全然予想が当たらないのである。
 毎回、怪しそうな人に目星をつけるが、ミスリードに翻弄されて外してしまう。制作側のミスリードの誘い方が分かってきたので、裏をかこうとして深読みしすぎて自滅することもある。ストーリー内で説明される事柄だけでなく、演出や出演者に焦点を当てるというメタ的な推理をしても外してしまう。
 ぼくが今までに触れてきた数多くのミステリー作品の知識を総動員しても、全員怪しく見えるだけで一向に犯人が分からないのだ。
 ここまで予想が難しいドラマは初めてである。15話ぐらい見て正解したのは、わずか2話だけ。しかも片方は、役者からの推理である。探偵の成績としては、廃業を余儀なくされるほどの惨敗である。
 だが、理不尽に難しいわけではない。犯人は、ドラマの中盤までに必ず登場しているフェアな作りだ。過度なドンデン返しはない。
 だからこそ、この難しさが癖になるのだ。
 比類なき難しさのおかげで毎回、頭が痛くなるぐらい集中して、出演者全員に容疑をかけている。