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穏やかな節分

by 唐草 [2020/02/04]



 昨日はニュースを全然見ていなかったので、ぼくは節分であることに気づいていなかった。
 ここ数年、節分になるとぼくは鬼のように怒っていた。ちょっと角も生えていたかもしれない。毎年イヤな気分で節分を迎えていた。ところが、今年は節分の存在を忘れてしまうほど心穏やかに2月3日を迎えていた。
 別に豆を投げつけられるのを恐れていたわけでもないし、柊とイワシの飾りに怯えていたのでもない。ぼくの心を乱していたのは、ここ数年続いた狂騒のせいである。
 恵方巻きがすべて悪い。
 降って湧いたように突然現れたのに、さも伝統のある行事のように語られた恵方巻。初めの頃は、どこか地方のちょっと奇妙でおもしろい風習ぐらいに捉えていた。でも、すぐに化けの皮は剥がれた。マイナーな伝統だったのは事実かもしれないが、それを巨大な流行だと偽って儲けようという薄っぺらさが見えてきた。
 でも、ここまでは許せていた。
 ぼくが怒っていたのは、この次に起きた恵方巻きの過剰供給である。食べられことなく廃棄される巻き寿司が、もったいないと憤っていたのだ。
 ぼくは環境問題への意識は低い。電気がなくなると職を失うコンピューターエンジニアなので、石炭でもウランでもなんでも燃やしてとにかく発電しろと願っている。プラスチックもちゃんと捨てれば問題ないという楽観的な立場で使いまくっている。
 そんなぼくだけれども、幼い頃から食べ物を残すなと躾けられていたせいかフードロスだけは見過ごせないのだ。ただ、他の食品廃棄問題を扱う人たちとはちょっと観点が違うらしく話が合わない。
 恵方巻の問題でぼくが心を痛めているのは、見知らぬどこかの国で子供が飢えているのに、ぼくらが飽食の日々を過ごしていることではない。巻き寿司を頑張って作った誰かの努力が無に帰する点なのだ。食べ物そのものが浪費されることよりも、加工した人の努力や野菜を育てた農家の努力がゴミとして捨てられることが我慢ならないのだ。だって、あまりにも悲しいじゃない、自分の作ったものが誰のためにもならず捨てられてしまうのは。
 今年の恵方巻きは、予約制になって静かに必要な分だけ売られていたらしい。買った人がどれだけいるかは知らないが、破棄確実の巻き寿司がぼくの目の届く範囲になかったことは紛れもない事実だ。恵方巻きのことなど1秒も考えないで済む平和な節分が戻ってきた。