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読まなくても同じ

by 唐草 [2020/02/03]



 この季節になると必ず口にすることがある。たぶん何年か前にも同じことを書いていると思う。それでも言わせてほしいことがある。
 学生の提出したレポートなんて読む必要が無い。読むだけ時間の無駄だとすら言える。
 大学で授業を受け持つようになってもう7年ぐらいになるのだろうか?他の仕事だったらだいたい3,4年も続けると飽きてほっぽりだしてしまうぼくにしては、自分でも驚くほど長く続けている仕事である。授業なんて同じことの繰り返しかと思っていたが、同じ科目でも学生が変わるとガラリと雰囲気が変わる。授業というのは、同じ箱のはずなのに蓋を開けてみると毎回新鮮な気持ちになれるビックリ箱のようなものだ。
 それでも、毎回同じこともある。数年間授業を受け持ってきて確信したことがいくつかある。そのうちのひとつが、レポートなんてまるで読む必要がないということである。
 ぼくの受け持つ授業は、流行りのアクティブラーニング形式だ。1回の試験や1本のレポートで成績が決まるわけではない。口頭発表や毎回のワークシートを積み重ねて得点を上げていく。
 最後の課題は、配点5点相当の感想文に毛が生えた程度のレポート。問題で示された6つのポイントに関して個人の感想を書くだけだ。何を書いたかではなく、いくつのポイントに言及できたかで得点が決まる。この課題は、出題者からすればボーナス問題だ。
 このレポートは、はっきり言って読まなくてもなんら問題ないのである。
 今までの経験からして、成績優秀者はこのレポートの得点が0でも既にA評価を確定させている。逆にレポートが満点ならばAになるようなボーダーラインギリギリの学生のレポートは、十中八九要点を押さえていない不完全なレポートだ。残りはレポートが何点であってもB以下確定の学生になる。
 つまり、実質的には読んだところでなんにも変わらないのである。できるやつはレポートも優秀。イマイチなやつはレポートもそれ相応。15回の授業を経れば、紙にアウトプットされる結果なんて9割方予想できるものである。
 まぁ、それでも一応全部読んでちゃんと採点はしている。そして、採点結果をまとめるたびに読まなくても一緒だったと確信するのである。