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年齢制限ありのテスト

by 唐草 [2020/01/20]



 考えてみれば当然のことでも、現実を目の当たりにするまで実感の湧かないことなんて山ほどある。むしろ、自分の目の届かない範囲で起きているものごとの大半がそうだろう。
 センター試験の監督を務めるたびに、当たり前の事実を目の当たりにして自分の視野の狭さを痛感するのである。
 受験生は、二十歳前後の若者だけではない。おじさんだっているんだ。そんな単純なことをぼくは想像できないのだ。
 大学受験は、若者のためだけに行われているような気がしてしまう。事実大学生の大多数は、20歳前後の若者が占めている。入学希望者となれば高校生が大半だろう。テレビニュースで受験の様子を伝える際は、制服を着たいかにも高校生らしい受験生にインタビューをしている。ぼくたちの身勝手なイメージに合わせるようにメディアが分かりやすく受け止めやすい情報を発信してくれるので、ますます身勝手なイメージが完璧な正解のように思えてしまう。
 大学の門戸は年齢を問わず受験資格のあるすべての人に対して開けれている。おじさんが受験をしてもいいし、おばあさんが受験しても良い。だから、センター試験の会場でピチピチの高校生に混じって、高校生の親より年上の受験生がいたってなんら不思議はない。
 それなのに高校生と席を並べるおじさんを見るまで、ぼくはついぞそのことに思い至らないのである。
 センター試験は、入試の中でも長丁場の試験である。長時間に渡って集中を続けるには、気力と体力の両方が欠かせない。知力だけでは絶対にパスできない試験だと言える。
 今のぼくは専門分野に特化した知識しか持ち合わせていないので、センター試験を受けても2割ぐらいしか得点を獲得できないだろう。それだけでなく、朝9時過ぎから始まって17時まで続く試験を受け続けられるだけの集中力すらキープできないと思う。午後の試験を向かえる頃には腰痛に悩まされているに違いない。
 つまり、今のぼくには知力だけでなく、体力も気力もないのである。
 残念なことに何もしていなければ歳を重ねるごとに気力も体力も衰えていく。知力も吸収力という側面の衰えが起きる。このことを考えると、ペーパーテストも最後に物を言うのは若さなのだろう。
 頑張れ、ついつい存在を忘れがちな壮年受験生たち!