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迫る包囲網

by 唐草 [2019/10/10]



 ここのログを検索すると10年以上前から"Ubuntu"の文字が現れている。でも、連続で"Ubuntu"の文字が続くことはない。数年おきに発生するインフルエンザの大流行のように不規則かつ突発的に現れては消えている。
 Ubuntuというのは、Linuxのひとつ。発表当初は、Windowsに変わるGUI環境を提供するLinuxという野心的な目標を掲げていたように記憶している。謳い文句通りGUIに注力したパッケージ構成になっていた。では、10年前と比べて個人のPC環境にUbuntuの影が見られるようになっただろうか?残念ながらWindows天下は未だ健在である。シェアの低いmacOSにも迫れていない。それどころか後発のChrome OSにすら負けている。掲げた目標は素晴らしいが、それを実現するだけの力はなかったと言わざるを得ない。数度UbuntuにチャレンジしたOSマニアのぼくでさえも、常用のOSにしようとは思えなかった。
 だから10年以上の長きに渡ってぼくにとってUbuntuは、古いPCで遊ぶ際のOSでしかなかった。言わば、おもちゃのOSである。
 また、ぼくは学生時代からRed Hat系のOSでLinuxサーバ運用方法を学んできた。先鋭的なFedoraを経て、安定のCentosに落ち着くという王道とも呼べるRed hat派生OSの系譜を歩んできた。当初は最新鋭に憧れたものの、運用を重ねるごとに安定性を重要視するように変化していった証でもあり、冒険心を忘れて保守的に成り下がったとも言える。骨の髄までRed Hatにどっぷりと使っているぼくからすれば、別系統のUbuntuに手を出す理由など遊び以外になにもなかった。
 でも、そうも言ってられない状況がやってきているようだ。徐々にではあるが、確実にUbuntuの気配が濃くなってきている。
 GUI環境への採用は未だに四捨五入をすれば0%になっても不思議ではない低さのUbuntuだが、コンテナ型仮想環境で勢力を伸ばしている。職場でぼくの足元に転がるサーバの中では複数のUbuntu系のコンテナが動いている。なにより、ぼくの使うWindowsの中には必ずUbuntuが入っている。気がつけば、足元に潜み、腹の中に潜り込んですらいた。
 Ubuntuは、アフリカの言葉で「ともに手を取り合う」的な意味らしい。だから、ロゴマークも3人が手をつないだ円になっている。でも、今のぼくからすると繋がれた手は、何者も逃さないと手を広げて包囲網を作っている狩りの姿にしか見えない。