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ドラムン木魚

by 唐草 [2019/09/24]



 今日は、ある組織の元会長の葬式に参列してきた。正直に白状するけれど、故人を偲ぶための参列ではない。生前に一度しか見たことのない人の葬式だ。偲ぼうにも、思い出の欠片もない。参列の是非は形式的には個人の裁量に委ねられていたが、実際のところ強制参加に近しい雰囲気に支配されていた。つまり、会場を埋めるために動員されたのだ。
 国から勲章を授与される上級国民ともなると葬式の規模もハンパない。目算で2,000席以上が参列者で埋まっていた。この人数になると何をするにも、飽きるほど時間がかかる。熟達した係員十数名で交通整理のようにテキパキと誘導をしていても、あっという間に長蛇の列ができる。入場だけでも1時間半以上かかったし、全体主義国家の軍事パレードのようにシステマチックに進められた献花も同じぐらいの時間を要した。個人が自由に動ける時間など1秒もなかった。ベルトコンベアに載せられた缶詰のように、ただ流れに沿って動いているだけだった。
 参列者はどんな人なのかは全く分からなかったが、弔辞や弔電で名前が挙がる人々には公人も少なくなかった。上級国民ともなると大臣や首長などとの繋がりがあるんだと感心してしまった。
 席埋め要員のぼくは、会場の一番奥に座らされた。祭壇のあるステージからは100mぐらい離れていた。そんなに広いとステージ上で読経する僧侶の生声など聞こえやしない。耳に届く読経は、天井に吊るされた巨大なスピーカーから発せられたものだった。アコースティックライブをロックフェスの設備で聞くようなものだ。生音じゃないとありがたみが減るんじゃないかとか余計な心配すらしてしまった。
 木魚の音をアンプでブーストしているせいか、ぼくが知っている音とは全然違っていた。ポクポクなんて可愛い音ではない。ポドゥンポドゥンとでもいうような、ドラムンベースの基本ラインを連想させるようなダブルビートな重低音に聞こえていた。速いペースのハイハットでも入れば、完全にトランスミュージックである。
 いくら読経がトランスを誘発する昔からの仕掛けとは言え、これはおかしい。なんでこんな風に聞こえるのだろう?
 答は献花のためにステージへ接近したときに判明した。広い会場には、ステージ前面とホール中央にスピーカーが設置されていた。2つのスピーカーから同じタイミングで木魚の音を流すと、40m以上離れているので音がズレる。そのズレがドラムンベースっぽい重低音を作り出していたようだ。音響のトリックである。
 それにしても5時間近く椅子に座らせられたのは、退屈の極みであった。