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何言ってるか分からない

by 唐草 [2019/08/13]



 ぼくは昔から洋楽ばかり聞いている。初めは背伸びしたいという中高生らしい思いから聞き始めたし、背伸びしている自分に酔っているいる部分もあった。最寄りの駅にあったCDショップに寄っても、1階の邦楽コーナーには目もくれずに洋楽コーナーのある2階へと続く階段を登っている自分が大人なような気さえした。
 ぼくの背伸びを手伝ってくれた店は、時代の流れに逆らえずもう跡形もない。でも、その頃に養った音楽的志向は今もぼくの中に息づいている。
 ぼくが洋楽に傾倒したのには背伸び以外にも理由がある。ぼくはメッセージ性の強い歌がキライなのだ。日本語の歌を聞いていると楽曲を楽しむよりも、歌詞の意味に意識を割いてしまう。ぼくはメロディーとかリズムに身を委ねたいだけで、詩的な情景などにはまるで興味がない。また、歌が入っていると歌詞が頭に残って無限にリフレインしてしまう。自分の脳内再生で楽曲に飽きるという事態に陥るので歌を避けていた。
 こんなぼくは、インストゥルメンタルに走ればよかったのかも知れない。でも、微妙にずれてエレクトロニクス/ダンス系に走ってしまったのである。ぼくが聞き始めた頃はテクノと呼ばれていた。エレクトロニクス系はボーカルパートがあってもサンプリングされた音源として扱われている。だから歌詞性は低い。でも、それだけがぼくが洋楽に惹かれていった理由ではない。
 一番の理由は、ぼくのリスニング能力では何を言っているのかさっぱり分からなかったからである。ボーカルパートがあっても意味がわからないし、言語化できないのであたかもインストゥルメンタルのように聞くことができたのである。ぼくにとって外国語の歌は楽器だった。
 それから20年ぐらい経過しているが、ぼくのリスニング能力は向上していない。相変わらず何を言っているか分からないまま音楽を楽しんでいる。
 きっとネイティブの人々は、歌詞も理解して音楽を楽しんでいるのだろう。ぼくは長らくそう信じていた。どうやらそれは、ぼくが勝手に抱いた幻想だったようだ。
 先日、買ったイギリスのバンドの音源に日本語のパートがあった。調べたら日本人が参加しているそうだ。つまり、ネイティブな日本語なのである。でも、エフェクトがきついわけでもないのに何を言っているのか半分ぐらいしか分からなかった。ということは、逆の立場でも同じことが言えるのではないだろうか?つまり、英語パートを英語ネイティブな人が聞いても100%理解できているとは限らないということだ。
 この推理が正しければ、歌詞の意味が理解できないから十分に楽曲を楽しめていないのではないかというぼくの心配は杞憂だったことになる。自分の低いリスニング能力にコンプレックスを感じていたので、聞き取れない日本語の歌に救われたような気がする。音楽は、音を楽しめれば十分なんだ。