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夏の夜の空に

by 唐草 [2019/08/10]



 夏休み開始前から自堕落宣言をしていたぼくであるが、実は小さな目標を抱いていた。「何もしないをするんだ」みたいなスヌーピーあたりが言っていそうなプチ哲学的な目標を立てていたわけではない。
 ぼくにとって夏にするべきことは、ひとつしかない。そう、花火だ。
 もう何年も前から花火をひとりで見に行くのを夏の恒例行事としている。隅田川花火大会のような名の知れた花火大会に行くのではない。ぼくが行くのは、毎年同じで近所の遊園地の花火大会だ。しかも、地元民の特権と称して穴場の高台からタダで花火を楽しんでいる。
 毎年花火に行く日は、早めに夕食を終え、午後7時に家を出る。この時期の7時はもう暗い。西の空にかかる雲をよーく見ると地平線の下に隠れた太陽の光をわずかに受けてオレンジ色に輝いている。7時過ぎまで太陽の姿を目にできた夏至の頃とはだいぶ違う。南からの風はまだ熱を帯びていて秋の気配はないが、秋が迫ってきているのを感じずにはいられない。
 しゃかりきに自転車をこいで目的の高台に着く頃と周囲は完全に闇に包まれている。坂道を駆け上がってきて火照った体を高台に吹く風が心地よく冷ましてくれる。高台から遠くに見下ろせる街の明かりは、どこか作り物のよう。地形のせいか鉄道の音だけが、まるで効果音の様によく聞こえる。去年も、その前の年にも目にして耳にした光景である。今年の夏も、あるべき場所に帰って来られたのである。
 花火は、毎年ほとんど同じ構成。序盤の猫や蛙などの動物の顔になる花火は、だいたい明後日の方向に炸裂して難解な図形を空に描く。遊園地の親企業のコーポレートカラー1色だけの連続花火もお約束だ。煙が晴れるのを待って大玉の出番が始まる。地面に届きそうな火球を描き、数秒遅れて体に響く炸裂音がやってくる。この腹の底にまで伝わるような音こそ夏である。ぼくは目よりも胃のちょっと下あたりで夏を満喫しているらしい。
 今年の花火には新作が1発投入されていた。巨大な火球の1/4ずつ色が順番に変わっていく見たことのない輝きの花火だった。まるで夜空に輝くミラーボールのよう。
 そして、小規模なスターマインのような連続花火から大きな金色の花火へのコンボが夜空を彩る。この花火の輝きが消えると同時になんのアナウスもないにも関わらず地元民は一斉に帰宅の途へつく。あたかも訓練されたような一糸乱れぬ動きこそ、地元のイベントを愛して、(お金を払わず)毎年参加している証である。40分程度の短い花火だが、規模なんてどうでもいい。これがぼくにとっての夏なのである。
 もちろん目に鮮やかな花火を楽しんでいるが、それ以上に花火へと足を運ぶことを楽しんでいる。まるで今が夏であることを確認するかのように。