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憂鬱なアップデート

by 唐草 [2019/07/20]



 PCのアップデートって嫌われがちな印象が強い。アップデートというのは修正版が無料でやっくることだ。これが紙の本ならば誤字を直した新しい版が無料で届くようなものである。嫌われる要素なんてどこにもない。むしろ、メーカーの親切さに驚いてしまうほどだ。
 でも、PCの世界はそうじゃない。アップデートが配信される度に不満不平が噴出する。多くの人がネガティブな言葉を口にする理由もよく分かる。まずは、自分の作業よりもアップデートが優先されてしまうことだ。どれぐらい時間がかかるかも分からない突発的な出来事に時間が奪われるのは気持ちの良いものではない。
 もうひとつの理由は、アップデートが新たな問題を連れてくる可能性が否定できないことだろう。せっかく故障していた部分を直したのに、別のところに新しい穴が空いてしまう。これが住宅の修理だったらとんでもない話だ。水漏れを直すために水道工事をしたら、屋根に穴が開いて雨漏りするようになったという感じである。
 嫌われる要素があるとは言え、WindowsやmacOSのアップデートなんてかわいいものである。ぼくも唐突なアップデート通知にイラッとすることはあるが、更新をためらうことはない。でも、Linuxのアップデートは違う。
 更新管理ソフトを使っていてもアップデートは避けたいと思ってしまう。各種機能がバラバラに開発されているLinuxは、「今月のアップデート」のようにひとかたまりで更新がやってくるわけではない。インストールされている数百のソフトやライブラリが勝手気ままに、まるで終わりのないモグラ叩きのように更新を訴えてくる。
 さらに面倒なことに1つの更新の影響が多岐に渡ることがある。つながりは複雑で理解は難しい。ぼくからすると「風が吹けば桶屋が儲かる」という諺のようで、一見すると目的のソフトとは関係なさそうな更新が始まったりする。今日もあるソフトの更新をしようとしたら、結果として16個ものソフトが数珠つなぎで更新されていった。
 こんな風に予期せぬものが互いに影響し合いながら更新されていくのでLinuxのアップデートはとても面倒だ。しかもWindowsアップデートなんかと違って、完全に無視を決め込むこともできる。だから、余計にアップデートへの腰が重くなるのだ。
 というのは、対外的な言い訳だ。本当は違うんだ。面倒なんじゃない。怖いんだ。1つの更新が何につながりどんな影響が波及するかサッパリ分からないのが怖いだけなのだ。アップデートコマンドであるyumコマンドを打つぼくの手は、いつも小さく震えている。