カレンダー

2019/04
 
    
       

広告

Twitter

記事検索

ランダムボタン

雑に聞いている

by 唐草 [2019/07/18]



 ぼくのタブレットには数百曲もの音楽が収められている。古い音楽にはあまり興味が無いとは言え、数曲は20世紀に作られた曲も入っているはずだ。ジャンルとアーティスト(個人的にバンドや歌手をアーティストと呼ぶのはキライだが)の偏りは激しい。プレイリストを見れば、ぼくがどんな音楽を好むのかがすぐに分かるだろう。
 音楽を持ち歩くようになったのは遠く昔のことである。ちょうどMDとかいう小さな光磁気ディスクが全盛期だったころのこと。CDをMDへとコピーして丁寧に聞いていた。その後は初期型のiPodへと移行した。今思えば、よくもまぁあんな重いデバイスを持ち歩いたものだ。でも、当時はホイールを得意気にクルクルと回しながら音楽を楽しんでいた。
 当時、外で音楽を聴くのは退屈な移動時間を自分だけの楽しみの時間に変えられる数少ない手段だった。だから、移動中でも真剣に音楽を聴いていた。どこにいてもイヤホンを耳に押し込めば、その瞬間にぼくはフロアの中心へと飛び立つことができた。
 今でも、もちろん移動中に音楽を聴くことはある。タブレットに数ギガ分の音楽ファイルを押し込んであるのが、その証拠だ。
 最近、昔に比べて雑に音楽を聴いているような気がする。耳にイヤホンを押し込んで昔と同じ曲を聴いている。でも、昔ほど音楽に集中していない。タブレットでまとめサイトのゴミのような情報を読みながら音楽を聴いているだけだ。もう音楽を聴いていると言うよりも、周囲の雑音をシャットアウトするために音楽をかけているに過ぎない。
 もちろん音楽の楽しみ方に決まりなんてない。ライブへ行って生の演奏を楽しむのも良いし、良い機器を揃えて無間地獄へと通じる修羅の道を楽しむのだって構わない。イヤホンで聞き流すように楽しんでもいいし、大きな音に包まれるのもいいだろう。聞きたいように聞けばいい。
 ぼくは音の質とかには、ほとんどこだわりがない(そもそも電子楽器主体の曲ばかり聞いている)。でも、聞く時はイヤホンであっても音の世界に飛び込むように音楽だけに集中できると一番心地がよい。それに比べて今の聴き方はどうだろう?イヤホンが発した音は確かに鼓膜に届いているのだが、脳が音として解釈していないようないいかげんな状態になっている。聴くというレベルに至ってすらいない。スマホが提供してくれる数多くの娯楽が、音楽への集中を妨げてしまっている。
 今朝、電車の中で大きな楽器ケースをもった兄ちゃんがいた。イヤホンを身につけ音楽を聴いているであろう彼の手元は、エアギターさながらにリズムを刻んでいた。彼ぐらい真剣に音楽を聴いたのは、もういつのことだか思い出せもしない。