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小麦色

by 唐草 [2019/06/18]



 「汚職事件」のことを「お食事券」だと勘違いした経験は、幼き日の頃の思い出として多くの人の脳裏に刻まれているのではないだろうか?ぼくが小学生低学年だった頃は様々な贈収賄事件にメスが入れられていた時期だったので、テレビのニュースからは連日のように「おしょくじけん」という言葉が流れていた。ぼくも当然「お食事券」だと信じて疑わない純真かつバカなお子様だった。
 この他にも「東名高速」を「透明高速」だと勘違いしたり「台風一過」を「台風一家」だと思い込んだりするのは、世代を超えた共通の勘違いになっていることだろう。同音異義語の洗礼とも言える。そして同音異義語を理解した小学生は、「布団が吹っ飛んだ」とかのダジャレを言い出すのだろう。言葉の不思議を遊びに取り入れることで、脳の言語を司る部分は成長していくのかもしれない。
 最近だと「ポイントカードはお持ちですか?」で始まる勘違いコントみたいなコピペがある。くどいのでぼくはあまり好きなコピペではないが、同音異義語の勘違いの見本市みたいな構成を最初に考えた作者のアイディアには感心してしまうものがある。
 コピペからも分かるように同音異義語はとても厄介なものだ。双方に共通概念がないと会話は破綻してしまう。ぼくは同音異義語の勘違いによる会話の破綻と同じ経験をある比喩表現を通して経験したことがある。それが「小麦色の肌」という表現だ。説明するまでもないが、小麦色の肌というのは軽く日に焼けた健康的な色の肌を指す直喩の比喩である。
 だが十代のぼくは、小麦色の肌のことを不健康なまでに白い肌のことだと信じていた。そのせいで会話が破綻したことがあった。たしか「小麦色の肌の女の子」について話していたのだが(いったいなんの会話をしていたのだろう?)、言葉を正しく理解していた相手は、日に焼けて活発で元気いっぱいのスポーツ少女みたいのをイメージしていた。一方のぼくは、自身の間違った解釈から病気がちで部屋からあまり出ない色白な文学少女みたいのを想像していた。当然会話は破綻した。
 なんでこんな勘違いが起きてしまったのか。
 それは、ぼくが「小麦」と聞いて「小麦粉」を想像してしまっていたからだ。畑に実る小麦の穂なんて生まれてこの方一度たりとも見たことがなかったからだ。知らないものを比喩に使われたってイメージは沸かない。ぼくにとって小麦は、すでに加工済みの小麦粉以外にありえなかったのだ。切り身が海の中を泳いでいると勘違いしている子供と同じである。
 これがぼくが体験した中でもっとも溝の大きな双方の共通理解がズレである。もしかしたら、他の比喩でも共通理解のズレが起きて、相手に「バカかコイツ」と笑われているかもしれない。それを考えるとちょっと怖い。
 なお、ぼくは小麦色の肌が似合うタイプより小麦粉色の肌の似合うタイプの女の子の方が好きだ。これが勘違いの根本的原因だという可能性は否定できない。