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巣立ちの季節

by 唐草 [2019/06/17]



 ぼくの職場は小さな山の上にある。物流道路として名を馳せている国道の近くなので、山頂とは言え陸の孤島というほど人里から隔絶されているわけではない。それでも敷地の周囲をぐるりと囲む雑木林が、結界のような役目を果たしている。バブル期の面影を残す無駄に装飾的な建物がいくら並んでいようと、多摩の田舎の雑木林に抱かれているというのどかな空気が流れている。
 その雰囲気は見せかけだけのものではない。人間だけでなく野生の動物にも愛されているようだ。四季を通じて様々な鳥がやってくる。冬の間は良い越冬地になっている。池にはたくさんのカモが浮いているし、植え込みの周囲ではツグミがボーッと立っている。鳥たちの顔ぶれの変化で季節の移り変わりを見て取ることができる。
 5月から6月にかけては、ツバメの季節である。急速に宅地化が進む自宅付近ではとんと見なくなったツバメであるが、自然と人が共存できているエリアではまだ姿を見ることができる。五月晴れの青空を切り裂くように鋭く飛び回っているので、ツバメの姿をじっくりと観察したことは殆ど無い。それでも、あの俊敏な動きと鋭敏なシルエットを見れば、ひと目でツバメだと確信できる。
 虫を追い求めて自由自在に飛び回る姿を見ていても飽きないツバメであるが、それよりもっと面白いものがある。子育ての観察ほど面白く、そして微笑ましいものはないだろう。ツバメは天敵から身を守るために人の近くに巣を作る。だから、観察しやすいどころか、観察してくれと言っているようなものだ。この季節最大の楽しみの1つとなっている。
 5月の連休が終わった頃、ツバメは忙しく飛び回っていた。きっと、巣作りに適した立地を探していたのだろう。2週間ぐらいしたら、ちょっと奥まったひさしの内側に巣を作り始めていた。泥でできた巣はお世辞にもキレイだとは言えないが、小さな生き物が懸命に作っている姿を思い浮かべれば許せてしまう。それから2週間ぐらいしたら、巣の縁から黒っぽい何かが覗いていた。たぶん雛の頭だろう。このときは、まだ巣が狭そうには見えなかった。さらに2週間ぐらい経過したときは、すっかり鳥の形になった4羽の雛が、黄色い口をひし形に大きく開いて親鳥の帰還を待って騒いでいた。もう、小さな巣は超満員という感じで、騒ぐ雛が落ちないか心配になるほどだった。
 そして今日、巣は静まり返っていた。もう生き物がいる気配はなかった。
 空を見上げるとツバメが飛んでいた。どうやら無事巣立てたようだ。
 ふと、小学生の頃を思い出す。買ってもらった文鳥の雛は、ぼくが構いすぎたせいなのか、元から弱かったせいなのかわからないが、羽ばたくことなく死んでしまった。以来、ぼくにとって鳥の雛は儚いものだという死の影がまとわりついている。でも、こうして元気に飛び回るツバメを見ているとぼくのイメージが間違っているのかなという気もしていくる。来年、ここへと帰ってくるのを待っていよう。