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チーズおろしは買わない

by 唐草 [2019/06/05]



 満身創痍のぼくのMac proは2009年モデル。強引なハードウェア換装とハックと呼んで差し支えないソフトウェアの導入、そして卓越した電源スイッチ操作でどうにか現役を保っている。でも、ぼくだって限界を感じていないわけではない。機会があれば新しいMacを導入したいと考えている。でも、ぼくの期待に応えてくれるスペックを持ったMacは長らく登場していない。
 ぼくの要望は、かなりワガママだ。それは自分でもわかっている。まず、デスクトップ機であることが条件だ。これでノートは全滅。一体型は好きではない。これでiMacもアウト。ECCメモリが使いたい。これらの要求を満たすのは、初めからMac proしかありえないのだ。だから、常々ぼくはこう言ってきた。
 「次のMac proが発売になったら、買い換える」と。
 そしてやってきた新型Mac proの知らせ。「10年ぶりのPC買い替えのときが来たのだ」と興奮をしながらWebを覗いたぼくは、自分が数秒で打ちひしがれることになろうとは夢にも思っていなかった。
 誰が初めに呼んだか知らないが、あのちょっとレトロな外観を「チーズおろし」と評したセンスには脱帽だ。完全にアップルのデザイナーであるジョナサン・アイブの悪い面が具現化したようなデザインである。ジョナサン・アイブが優れたプロダクトデザイナーであることは間違いないのだが、1960年代のレトロフューチャーなテイストが好きすぎるきらいがある。特にブラウンの製品からの影響は凄まじい。模範的なデザインが同じ形に落ち着くことはよくあるが、単に個人の懐古趣味と捉えられても仕方がないほどに似ているものがあることは否定できない。
 新しいMac proを模倣だと言うつもりはない。でも、悪い意味で1960年代テイストが全面に出てしまい、誰もが既視感を感じる形状になってしまったことは否定できない。それがよりによって欧米ではありふれた台所用品であるチーズおろしだったというのが、最大の不幸である。
 チーズおろしに見えてかっこ悪いと言うだけではない。ぼくは新しいMac proのデザインが、鳥肌が立つレベルで受け入れられない。前面の穴の大きさと配置が、ぼくの最も苦手とするパターンなのである。病的な執着により規則正しくえぐり取られた虐待の跡のように見えてしまう。少し古い例えだと蓮コラと同類である。これを書いている今も、鳥肌が立っているし、歯が浮くような不快感を覚えている。
 最後にお値段に関して。PCのスペックを考えれば、妥当な値段だということは認めよう。でも、個人で買える領域ではないのも事実だ。
 「次のMac proが発売になったら、買い換える」宣言は、気持ち悪いデザインとプロユースの価格により断念せざるを得なくなった。もうMacを買うのは止めようかな。