カレンダー

2019/03
     
      

広告

Twitter

記事検索

ランダムボタン

ポジティブレイシスト

by 唐草 [2019/03/28]



 人々の違いを認めることが多様性であるならば、違いを認めないことが差別になるのだろう。世界には60億人を超える人間がいるのだから、個々に見ていけば千差万別で様々な違いがあるのだろう。言語や肌の色といったすぐに分かる要素だけが違いではない。例えばチベットなどの高地に暮らす人々は心肺系が遺伝子レベルで強化されているらしい。だが、そういう遺伝子レベルの違いは何も厳しい環境だけで起きているわけではない。ぼくら日本人も海苔を消化できるという特殊な消化系を遺伝子レベルで持っている。生まれながらにおにぎりが食べられるのは、地域に合わせて進化した結果らしい。
 これらの違いは、人以外の動物であれば分類が大好きな動物学者によって様々な種や亜種に分類されているだろう。きっと、内心ではゲルマン系だとかモンゴロイドだとか生っちょろい分類ではなく、もっとシビアに分類したいと考えている生物学者もいるに違いない。
 今に生きるぼくたちは、教育を受け、多様性を受け入れたことで、差別がなんの価値もないことだということを学んできた。それでも小さな社会で生きていると、自分の知らない価値観や容姿を持つ人を見るとびっくりしてしまうこともある。
 その一方で、メディアなどを通して実体験の伴わない形で様々な多様性を見聞きしてきた。そのせいである種の固定概念が生まれているように思う。
 例えば、アフリカ系の人を見たときのことだ。多くの場合、平均的な日本人より背が高い。メディアを通してアスリートとして活躍している姿が目に焼き付いている。だから、意識する間もなく「運動神経が良さそうだ」と憧れを抱きながら想像してしまうのだ。
 別の例もある。ヒスパニック系の人がブラジル人だと知ったら、ぼくはサンバの賑やかな黄色いリズムを思い浮かべながら「ダンスが上手いのではないか?」と思うことだろう。また、立派な髭を蓄えたアラビア系の人を見ると、ドバイからやってきた金持ちではないかと想像する。
 まったくネガティブなイメージは抱いていない。それどころか自分には無いものへの羨望さえ混じっている。とは言え、これって差別なのかもしれないと思った。
 ステレオタイプでしか物事判断できていない。足の遅いアフリカ系の人だっているだろうし、リズム感の無いヒスパニックだっている。財を成せなかったアラビア系の人だって大勢いるはずだ。個性を無視して強引にポジティブなイメージを押し付ける差別とでも言ったところだろう。残念ながらぼくは、まだ十分な多様性を身に付けられていないポジティブレイシストである。