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人間工学を拒否する体

by 唐草 [2019/03/18]



 ちょうど半年ぐらい前の記事に「職場の椅子が合わず尻が痛い」と書いた。そのとき考えていた解決方法は、倉庫で眠っている古いけれどとても良い椅子を強奪するという強硬な手段である。
 しかし、作戦は実行されなかった。椅子の所有権を持っているのがどこの部署なのかわからずじまいで、下手に持ち出すと本当の盗難騒ぎになりかねない状況だったからだ。結局、小心者のぼくは自分の尻よりも組織の和を選んでしまったのである。それ以来、倉庫にぽつんと眠る椅子のことを指をくわえて眺めていた。
 だが、事態は急変した。
 ぼくの他にも椅子を狙っている人がいるという内通があったのだ。もう、これは指をくわえて見ている場合じゃない。この半年で分かったことがひとつだけある。それは、椅子の所有権を知っている人は多分いないということだ。約20年前に納入された品なので、当時を知る担当者もいないだろうし、備品リストからも外されている可能性が高い。
 だったら無許可で持ち出しても問題ないはずだ。
 という訳で、ぼくは今、件の「古いけど良い椅子」に座っている。古い椅子と書くと木製のアンティーク調の椅子を想像してしまうかもしれない。でも、そんなイメージとは正反対のモダンな椅子である。
 ぼくが強奪してきたのは、20年前のモデルのアーロンチェアなのだ。人間工学に基づいてデザインされた形は現行モデルでもほとんど変わっていない。
 今まで座っていたキャスターが壊れかけたボロい事務椅子を投げ捨ててアーロンチェアに座っている。だが、正直なところあまりしっくり来ていないのだ。
 アーロンチェアには、いくつもの調整レバーやダイヤルがついている。ちょっと動かしただけでは何が変わったのかわからない微細な調整ができる。きっちり調整すれば自分の体の一部のようになるのだろうけれど、5箇所ぐらいを同時に調整しているとどれがベストな組み合わせなのかさっぱり分からなくなってくる。また、根本的な座面設計が、ぼくの尻が知っている椅子と違いすぎる。今までの椅子はどこか一箇所に重さをかけてしっかりと留まっている感じだった。ところがアーロンチェアだと重さが均一に分散するので留まっている感じがしない。安定しているけれど、同時に掴みどころがないような矛盾した感覚から抜け出せない。なにより感じたのは、姿勢良く座ることを椅子に要求されている感じがすることである。ぼくは椅子に浅く腰掛けリクライニング気味で作業する癖があるのだが、アーロンチェアはそれを許してくれない。
 安い椅子に自分の体を合わせてきたので、急に人間工学に基づいた椅子に座らせられても体がすぐには対応できないようだ。高級な椅子は、生まれたときから高級な椅子に座り続けてきた人のためにあるんだなと深く納得しているところである。