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揺れる隣人

by 唐草 [2019/02/19]



 今朝、電車でぼくの隣に座っていたオッサンが小刻みに揺れていた。
 電車やバスなどの公共交通機関を利用しての通勤や通学のときの移動時間に何をするか。これは毎日、西へ東へ動き回る現代人にとって重要なテーマである。
 高校生の頃を思い返してみると、当時は文庫本を持ち歩いていた。当時は、暇さえ潰せればどんな本でも構わなかったのでラノベのような本から教科書に載っているレベルの文豪の本まで手当たり次第に読んでいた。まぁ、軽い本がほとんどだったけど。大学はチャリ通だったので割愛。
 社会人になって以来、iPodやDS、PSPなんかの電子機器を持ち歩くようになった。音楽を聞いたり、ゲームに興じたりして長い電車通勤の時間を過ごしていた。それも徐々に変化していく。タブレットで何かをする割合がどんどん増えていって、まずはiPodを持ち歩かなくなった。そして、携帯ゲーム機もその牙城を崩された。いまではタブレットしか持っていない。
 そのタブレットで何をしているのかといえば、読んでもなんの価値もないようなまとめサイトとかをダラダラ眺めているだけである。
 高校生の頃の読書、その後の音楽鑑賞からするとだいぶ文化的レベルが低下しているように思えてならない。タブロイド紙を読んでいるのと同じレベルまで落ちている。
 でも、これはぼくに限ったことではないだろう。電車内を見回しても老若男女皆一様にスマホの画面を覗き込んでいる。あたかもそれが大切なマナーであるかのように真剣に画面を凝視している。周りに迷惑をかけていないので、20年前からしたら奇妙なこの光景も悪いものではないだろう。
 話を戻そう。
 ぼくの隣で小刻みに揺れていたオッサン。その手には、着ぶくれしてさらに大柄に見えている体型のせいでアンバランスにさえ見えてしまうコンパクトなスマホが握られていた。ぼくがちら見したところ、コントかなにかのお笑いの動画を見ているようであった。電車の中で動画を見て時間を潰せるというのは、なんとも現代的である。
 その動画がよほどツボだったのだろう。オッサンが小刻みに揺れているのは、笑いを押し殺しているからだった。息を止め声が出ないように笑いを抑えているのだが、感情に素直な横隔膜の動きに体が振り回されていた。声はまったく出ていない。息を押し殺したような「ウッ」とか「グフッ」とかそういう類の聞き苦しい声さえ漏れていない。まるで音量を0にセットしたかのように完璧に声を抑えていていた。その根性とテクニックは称賛に値するだろう。
 でも、揺れ過ぎである。マナーモードかよ。