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比喩から見えるもの

by 唐草 [2018/09/30]



 ここの記事を書く際には、できる限り比喩を盛り込もうと考えている。技法として比喩を用いることを主眼としているので、わかり易さなんてものは二の次である。また、ぼくの技量が充分でないので直喩ばかりで、慣用的な表現以外の暗喩は使えていない。
 それでも積極的に比喩を用いているのには、ぼくなりの理由がある。少なくとも課題レポートの文字数が絶望的に足りない大学生のような気持ちで文字数稼ぎをしているわけではない。比喩こそが、書く人の個性を映し出す鏡だと考えているからだ。
 ただ事実を書くだけなら、それは報告書でしかない。奇想天外な状況や出来事にでも巻き込まれない限り面白いものにはならないだろう。それに客観的事実の羅列だったら誰が書いても、版で写したかのように同じになってしまう。事実ばかりで1000年後に2018年の一般人の生活を知る歴史的資料になるようなものを残したくてここに文字を羅列しているわけではない。
 ぼくが目指しているのは、誰かの暇で仕方がない3分を埋めるようなものだ。重要なのは、特別な事実を客観的に書き留めることではなく、ありふれた日常を偏った視点から主観的に語るものだと信じている。そこには、きっと自分とは違う考え方や共感できるものがあるはず。
 個人的にものごとをどう捉えたのかを書く際に強い力を発揮するのが比喩だとぼくは思っている。
 比喩はある種の連想ゲームのようなものだろう。どんな事実に何を連想するのかというのは、頭の中の引き出しをチラリと自慢げに見せるようなものだ。そこに個性が現れるとぼくは信じている。
 ぼくが比喩の効力に気がついたのは、かなり昔の話になる。何かの小説を読んでいるときに「くたびれた潜水艦のような」という比喩があった。ぼくは、生まれてから一度もこの目でくたびれた潜水艦なんて見たことはない。それどころか、元気な潜水艦だって見たこともない。でも、海底に重く沈み動くことのない黒い塊が苦しそうにうずくまっているような暗く寂しい印象がぼくの頭の中に強く焼き付けられた。語彙も技法も使っていない小学生でも理解できそうな単純で例えなのに、多くのネガティブなイメージを一気に頭に叩き込んでくる言葉の威力に感服したものだ。
 それ以来、比喩に注目して文章に目を通すようになった。そして数年の月日を経て比喩にこそ著者の個性がにじみ出ていると確信したのだ。
 だからぼくは、隙きあらば比喩を盛り込もうと文字と文字の隙間に目を光らせているのだ。読まされる方が胃もたれするような文章になるかどうかなんてことは、駅ですれ違う人ぐらいに気にもとめていないのである。