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残像と心象

by 唐草 [2018/08/11]



 毎年夏の楽しみである花火。今日、やっと見に行くことができた。今年の夏はあまりにも暑く、夜になっても外出が危険なほどだった。だから、花火見物の穴場である山の上まで自転車で行くことを控えていた。もう、この夏は熱波に負けて花火を見に行けないのではないかと悲観的になりかけていたが、その悪い予感は現実にならずに済んだ。
 毎年のように我が家から10kmぐらい離れた山の上まで自転車をかっ飛ばす。こうして夜に自転車に跨ることが久々である。ようやく戻ってきたいつも通りの夏に安堵しながらペダルを回していく。ただ、午後に降った雨のせいで湿度は高かった。穴場の横にある湖は靄に覆われていた。さらに、遠くでは稲妻が雲間を走っていた。伝説の妖怪が潜んでいても不思議がない雰囲気の漂う夜だった。
 穴場スポットは、街灯もろくにない薄暗い山の上だというのに例年通りタダで花火を見てやろうという地元民で賑わいを見せていた。それぞれのグループが、不思議と等間隔で並んで十分なパーソナルスペースが確保されている。きっとこの人々の間隔は、京都の鴨川でカップルが自然と等間隔になるのと同じ心理現象なのだろう。おかげで、ごく少数派であるぼっちなぼくが肩身の狭い思いをしないで済むのである。
 毎年ほとんど変わらない花火の構成に安心感を覚えながら空を見上げていた。空に広がる鮮やかな光をただただ無心に見つめいていた。
 打ち上げの合間に周囲の人々の会話が聞こえてくる。その多くが、花火の撮影が上手くいかないという愚痴である。このSNS時代において花火の写真は、夏らしい活動に勤しんでいる重要な証拠である。何が何でも撮影しないと気が済まない人も少なくないことだろう。
 でも、いくらシャッターを切っても思い通りの花火の写真を撮影することはできないだろう。不可能だと断言してもいい。
 花火大会のポスターなどに使われている写真を思い出して欲しい。あんな花火を見たことあるだろうか?たぶん無いはずだ。花火の写真として流通している多くの作品は、長時間露光によって撮影されたもの。人間の目が捉える花火の姿とはだいぶ違う。
 一方、普通のカメラで撮影をした花火は、残念なほどに地味である。光の粒がまばらに輝いているだけにしかならない。これは、1/30とかの短い時間で花火を写しているからだ。
 ぼくたちが肉眼で花火を見ているときは、燃える火薬が発する光を見ているだけでなく、その光が網膜に残した残像も同時に見ている。本当は存在しない光まで含めて花火を捉えているのである。そんな姿を花火のあるべき形として心に描いている。
 存在しない花火の光をカメラに写すことはできない。カメラはただ目の前にある光を記録するだけでは、ぼくたちの心象までも残すことはできない。だから、どんなに頑張ってもタダのスマホカメラじゃ、理想的な絵を残すことはできないのだ。
 せっかく打ち上げ会場の側まで足を運んでいるんだ。カメラはポケットにしまって、体で音を感じ、目にその光を焼き付けようじゃないか。