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不安の鍵

by 唐草 [2018/05/13]



 基本的にぼくは、心配性である。とは言え、強迫観念に駆られて日常生活に支障が出るほどの心配性というわけでもない。些細なことが気になってしまうと、ずっと気にして何度も確認してしまうという感じである。
 外出するときは、特に顕著である。忘れ物がないか何度も確認してしまう。財布や鍵なんかは、家を出る前に玄関でチェックしたにも関わらず、玄関を出て自転車に跨ったときにもう一度確認しないと気が済まない。財布などの忘れ物の心配は、何度でも気が済むまで確認できるから心理的な負担はとても小さい。むしろ再確認の動作は、本当に忘れ物を心配していると言うよりも様式化された一連の流れという印象さえある。2度確認することが、マイルールなのである。
 一方でやっかいな不安は、施錠である。鍵をちゃんと閉めたかとか、ストーブをちゃんと消したかという不安は、外からでは確認のしようがない。普段の生活のふとした瞬間に何度も何度も「鍵を閉め忘れたのではないか」という不安に駆られているが、いまだかつて1度だって鍵をかけ損ねていたことはない。だから不安なのだ。完璧な人間なんていないはずだ。100回連続で成功していたら、次こそ失敗するに違いない。根がネガティブなので、こう考えてしまうのだ。100回連続で成功したから次もOKなんていう楽観視は、どう頑張ってもできない。それどころか、100回連続で成功したという記憶が偽りなのではないかと疑ってしまうのだ。
 ただ、施錠に関する不安には不思議な傾向があるようだ。不安に満ちた今日の記事を記事を書くために、ここのログを検索して気がついた事がある。
 年がら年中施錠に関する不安を口にしているぼくだが、いつも同じ鍵に不安を感じているわけではない。周期的に対象となる鍵が変わっているようなのだ。
 ここのところ不安を覚えることが多いのが、自転車の鍵。無意識のうちにチェーン式の番号錠をかけてしまう。一連の施錠動作を体が覚えているので、施錠の記憶がまったく残らないのだ。同じことを数年前にも書いている。
 また、去年は職場のロッカーの鍵に不安を覚えていた。タブレット交換方式に近いやり方を採用して施錠確認を行っていたが、今ではそんなことをまったくしていないのに微塵も不安は無い。別の時期は、玄関の鍵を閉めたか不安で仕方がないときもあった。
 身の回りにはいくつもの鍵がある。それなのに不安を感じるのは、その内のどれか1つだけの場合がほとんどだ。全部の鍵に対して同時に不安を感じたことがないのは、なんとも不思議である。人ひとりが抱えられる不安の量なんて、たいしたことがないのかもしれない。